みすず書房

ジョン・ルカーチ『歴史学の将来』

村井章子訳 近藤和彦監修

2013.11.25

本書の解説で、近藤和彦教授が類書に触れている。「歴史家による歴史論で、よく知られているものだけを挙げても」と前書きして、『歴史のための弁明』(マルク・ブロック)、『歴史のための闘い』(リュシアン・フェーヴル)、『歴史とは何か』(E・H・カー)、『歴史学の〈危機〉』(ジェラール・ノワリエル)、『歴史学の未来へ』(N・J・ウィルソン)、「歴史の作法」(二宮宏之)、『史学概論』(遅塚忠躬)などを並べ、「それぞれ著者の特別の思いを体した著作、ときに絶筆である」と述べておられる。どれをとっても名著の誉れ高い、読めば奥深い、ときに悲しい書物である。

一つの学問の本質を経験にもとづいて書くこと、それは長年にわたって当該の学問にたずさわり、それによる苦楽を味わった学者でなければ、いいかげんなものになるだろう。本書『歴史学の将来』の著者ジョン・ルカーチもまた、30冊以上の歴史書を著し、60年間も大学で歴史を教えてきた老学者である。その意味で本書も、上記の名著群に伍してひけをとらないが、書きぶりにどこか微苦笑を誘うところがある。「オールド・ファッション」の歴史家と自称して、「大衆迎合の進歩主義と、短期の成果主義に目のくらんだ大学組織の官僚化」に反対する言動に、悲壮さどころか皮肉な快活さが感じられるのである。

この人間味あふれる筆致はどこから来るのだろう? 一つ推測されるのは、著者ルカーチが、とにかくよく小説を読んでいることである。本書には「歴史と小説」と題された一章があるほどで、スコットからディケンズ、スタンダールなどの古典小説はもちろん、フィリップ・ロスの最新作まで読んで(これは批判するため?)、自在に歴史と小説を比較する。お気に入りの一つはトクヴィルの回想録(岩波文庫では『フランス二月革命の日々』)で、この本は「もともと個人的な心覚えとして書かれ、40年後に甥が書斎で発見したのだが、洞察力の点でも文体の点でもきわめてすぐれている」と絶賛している。しかもこの本の力を見つけ出したのは「歴史家ではなく、フランスの文学評論家だった」。

細分化された専門分野の論文とちがって、一冊の本を書きあげるためには全体力とでも言うべき資質が必要になる。そして読者にもまた、せっかちな正邪の判断ではなく受容力が求められる。小さな本ではあるが、ゆっくりと読んでいただきたい。ところでこの秋、『20世紀小史』と題された240ページの本がアメリカで出版された。ジョン・ルカーチにとって本書は「絶筆」にならなかったようである。