みすず書房

ガワンデ『医師は最善を尽くしているか』

医療現場の常識を変えた11のエピソード  原井宏明訳

2013.07.25

手洗いの徹底で院内感染はゼロにできるか?
なぜイラク戦争では負傷兵の死亡率が激減したのか?
新生児の死亡率を30分の1から500分の1まで下げたある工夫とは?
外科医ガワンデが人間の可能性を描くノンフィクション。「訳者あとがき」から抜粋してご紹介します。

「訳者あとがき」より

原井宏明

ガワンデを知ったきっかけはScientific Americanのポッドキャストである。毎回、スティーブ・マースキーが時の人を呼んでインタビューする。ガワンデも2009年に「ニューヨーカー」誌2009年6月号に書いた“The cost conundrum”が米国雑誌賞を受賞し、インタビューに登場した。この記事を読んだ後、私もしばらく「ニューヨーカー」誌を買うようになったほど、インパクトのある記事だった。

簡単に紹介しよう。経済的に似通った二つの米国のある地域で一人あたりのメディケア医療費に二倍の差がある。その背景には医師の行動パターンの違いがあった。ガワンデは病院経営者に直接会いに行き、話を聞く。外野からは患者を検査漬けにしているような経営者にもそれなりの理由がある。記事の中には、どこにも“金儲け主義!”と批判するようなニュアンスはない。一人一人の医師の医療上の工夫とちょっとした欲が医療費を二倍にさせていることが具体的に語られている。説得力があるのに、淡々としている。私は医療経済学に以前から興味があった。ガワンデの視点は私と似ていた。誰か一人の貪欲ではなく、医学の進歩と善意、そして大勢の小さな私欲が医療費の高騰を招くのだ。さらに読みたくなり、Betterを買った。感想文を私のサイトのブログに載せた。それがみすず書房の旧知の編集者の目にとまり、この本になった。はじめて読んでから四年たち、今、私が何を思うか書いてみることにしよう。

校正しながら気がついたことがある。今までにも分担翻訳まで含めれば翻訳書は数え切れないぐらい出している。今の私は、やりたくない仕事を一つあげろ、と言われたら、翻訳をトップに上げるぐらい、翻訳仕事が嫌いになった。同じ時間をかけるなら自分の本を書いた方がはるかに良い。校正はもちろん面白くない。校正は本質的に自分がやったことのダメ出しである。しかし、この本の校正は違った。

初校を校正しながら、私は読まされた。読まされるという感じで、ついつい先はどうなるかと読みたくなるのである。すべては自分が翻訳した自分で書いた文章である。先がどうなるかも知っている。なのに読みたくなる。他でも書いている普段の日本語の文章もついこの本のスタイルに合わせたくなる。何かが他と違う。リズム感や臨場感のようなものと言えばいいのだろうか。構成の素晴らしさに唸った章を例に取り上げよう。

「スコア」は二つのストーリーが同時並行に語られている。エリザベス・ロークの30時間にわたる出産がどうなるのか、彼女の希望通り医療の手を借りず、自分の力で「森の中の小さな小屋で、妖精のような小人と一緒に出産を迎えたい」になるのか、それとも徹底的に医療化され、麻酔されて手術室での帝王切開になるのか、時間刻みにその様子が語られている。

並行して、産科医療の歴史が16世紀のピーター・チェンバレンから20世紀のバージニア・アプガー、医師にとって好都合な予定帝王切開という一種不吉な事態まで語られている。本来はまったく関係のないこの二つ出来事が、綾織りのようにして絡みあう。その結果、産科医療の歴史が、今、子どもを生み出そうとしているエリザベス・ロークと赤ちゃんの運命にどう影響しているのかが読者に伝わってくる。ロークが一九世紀初頭に子どもを生もうとしていたならば、シャルロット王女と同じような運命を辿ったことを想像することは容易である。同時に、安全だからといって一部の国や病院のように半数以上の子どもが帝王切開で生まれることにも不自然さも感じるはずだ。

(訳者のご同意を得て抜粋掲載しています)
copyright Hiroaki Harai 2013