みすず書房

岡照雄『官僚ピープス氏の生活と意見』

2013.06.10

ひとはどうして日記をつけるのだろうか? 備忘録やメモなら必要だろう。しかし、他人に見られたら困るような事柄を日記に書くとはどうした心理だろうか?

個人的な房事や不倫をこっそり書きおくのはなぜか? 性的なことを暗号や記号で表わすことは昔からお馴染みである。一茶や荷風はある印で、啄木はローマ字でひっそりと書き込んだ。これはやはり世間や妻の目を憚ったのだろう。しかし、そうまでして書くのは自己確認なのだろうか? どうもよくわからない。

暗号によって書かれた日記が解読されて一躍人気者になったのはやはりサミュエル・ピープスが代表であろう。この英国17世紀の海軍官僚も性的な顛末や賄賂の受領を日記に書いている。世の読書人はこれを覗き見して愉しんでいるわけだ(『日記』の訳は国文社から出ている http://www.kokubunsha.co.jp/series/pepys.html)。

しかし、人間は下半身だけで生きているわけではない。ピープスの本領は官僚としての抜群の働きにあった。王政復古に各宗派の対立、ペスト、オランダとの海戦にロンドン大火に加えて、議会での長い答弁に熾烈な出世競争など、ピープスはきわめて多忙である。こうした男の日記である。面白くないわけはない。本書はこの自由人の上半身の自在な活躍を詳細に追っている。

議会で政敵をへこまし、教会では女に色目をつかい、酒場では賄賂の相談をし、先んじて計算尺(いまのコンピュータであろう)に関心を示す。

非常に優秀なエヴリマンの日記である。われわれと同じ言動をするが、もうちょっとエライ。役に立つかどうかはともかく、このイギリス人に親しみを覚えるのは確かである。一読を乞う。