みすず書房

ジェームズ・C・スコット『ゾミア』

脱国家の世界史  佐藤仁監訳 池田一人・今村真央・久保忠行・田崎郁子・内藤大輔・中井仙丈訳

2013.10.10

「はじめに」より

ジェームズ・C・スコット
(佐藤仁監訳・今村真央訳)

「ゾミア」とは、ベトナムの中央高原からインドの北東部にかけて広がり、東南アジア大陸部の5カ国(ベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ビルマ)と中国の4省(雲南、貴州、広西、四川)を含む広大な丘陵地帯を指す新名称である。およそ標高300メートル以上にあるこの地域全体は、面積にして250万平方キロメートルにおよぶ。約1億の少数民族の人々が住み、言語的にも民族的にも目もくらむほど多様である。東南アジア大陸部の山塊(マシフ)とも呼ばれてきたこの地帯は、いかなる国家の中心になることもなく、9つの国家の辺境に位置し、東南アジア、東アジア、南アジアといった通例の地域区分にも当てはまらない。とくに興味深いのはこの地域の生態学的多様性であり、その多様性と国家形成との相互関係である。あたかも北米のアパラチア山脈の国際越境版であるかのようなこの地帯は、新鮮な研究対象であり、地域研究への新たな視点を提供している。

私の主張は単純だが挑発的であり、賛否両論を引き起こすだろう。ゾミアは、国民国家に完全に統合されていない人々がいまだ残存する、世界で最も大きな地域である。このさきゾミアが非国家圏であり続けるのもそう長くはないだろう。しかし一昔前まで人類の大多数は、ゾミアの人々のように国家を持たず、政治的に独立して自治をしていた。今日ゾミアの人々について、平野国家の視点から「現存する我らの先祖」とか「稲作、仏教、文明が発見される以前、私たちはあのように暮らしていたのだ」などともっともらしく語られるが、これに対して私は本書で以下のような反論を展開する。山地民とは、これまで2000年のあいだ、奴隷、徴兵、徴税、強制労働、伝染病、戦争といった平地での国家建設事業に伴う抑圧から逃れてきた逃亡者、避難民、マルーン共同体の人々である、と。こうした人々が暮らす地域の多くは、破片地帯もしくは避難地域とみなすのが適切である。

ゾミアの人々の生業、社会組織、イデオロギー、そして(この点については多くの反論が出るであろうが)口承文化さえも、国家から距離を置くために選ばれた戦略、と解釈できる。険しい山地での拡散した暮らし、頻繁な移動、作付けの仕方、親族構造、民族的アイデンティティの柔軟さ、千年王国的預言者への傾倒、これらすべては、国家への編入を回避し、自分たちの社会の内部から国家が生まれてこないようにする機能を果たしてきた。とくに多くのゾミアの人々を逃避へと追い立てたのは、長大な歴史を持つ中国の王朝国家であった。山地民に伝わる数多くの伝説にその逃走の歴史をかいまみることができる。15世紀以前の状況についてはいくらか憶測に頼ることになるが、それ以降の時代の文書史料にはこうした事実がはっきり示されている。明朝と清朝期に頻繁に起こった山地民に対する軍事作戦、19世紀中葉に中国南西部に起こったかつてない大反乱と、数百万に上る反乱の避難民については文献に記されているし、ビルマとタイでの国家による奴隷狩りからの逃避についても十分史料が残っている。

本書が直接の対象とするのは広大なアジア一帯であるが、私の主張はそれを越えた広がりをもつものにしたい。
国家形成については、過去や現代の事例も含めて、すでに膨大な文献が存在しているものの、国家と対をなすものに目を向けたものはきわめて少ない。対をなすものとは、国家形成への反応として意図的に作り出された無国家空間のことである。国家形成から逃れた人々の歴史抜きに、国家形成を理解することはできない。それゆえ本書はアナーキズム史観の提示にもなっている。

本書は強権的な国家と隷属的労働組織から押し出されてきた人々――ジプシー、コサック、湿地帯(マーシュ)アラブ、サン・ブッシュマン、そして「新世界」やフィリピンでスペインの〔イエズス会宣教師による先住民の定住を目的に建設された〕「リダクシオン」移植村から逃れた部族民――の多様な歴史を繋げる試みでもある。
本書では「原始的」と言われるものについて広く信じられている通説が根本的に覆される。遊牧、採集、移動耕作、分節リネージ組織といった一連の慣習は、往々にして「事後的な適応」であり、意図的に選ばれた「自己野蛮化」の結果ともいえるものだ。それは、居住場所、生業手段、社会構造を、国家からの逃避という目的の下で巧妙に調整した結果なのである。山地における国家は派生的、模倣的、かつ寄生的であった。国家の陰に暮らす人々にとって平地国家からの逃避と、こうした山地的様式とは相矛盾するものではなかった。

本書で展開されるのは、「野蛮」「生」「原始」など中国やほかの文明がつくりあげた言説を脱構築する議論である。これらの言葉の意味をよく考えてみると、それは「統治されざる」もしくは「まだ編入されていない」人々を指していることがわかる。文明論は、人々が野蛮人の側に自主的に移っていく可能性を考慮していない。だからこそそのような人々は、汚名をきせられて異国民扱いされる。徴税と統治権の及ばなくなる場所を境にして、民族や「部族」が始まる理由はまさにここにある。これはローマ帝国においても、中国の帝国においても同様である。

生業の様式と親族構造は生態的環境や文化によって決定され、外から与えられたものとして理解される。しかしさまざまな農耕形態(とくに作物選択)、社会構造、物理的移動のパターンは外部要因によって決定された所与のものではなく、逃避にどれだけ役立つかという分析のうえで、人々が政治的選択をした結果であると本書は考える。

国家から逃れる人々は、ゲリラらを含め、山地に避難先を求めた。これは重要な地理学的テーマである。私は「地勢による軋轢」という概念を使い、近代以前の政治空間――とりわけ国家形成の困難さ――について新たな見解を示したい。

(著作権者のご同意を得て抜粋掲載しています)