みすず書房

T・ベルンハルト『私のもらった文学賞』

池田信雄訳 [19日刊]

2014.06.12

本書のキャッチに「笑いと涙と感動がないまぜになった空前絶後の書」と書いた。

まず、著者ベルンハルトが、自分の受けた文学賞のうち9つの賞をテーマに一冊のエッセー集を書きあげたこと(彼はそれ以外の賞も受賞しており、受賞を拒否したものもある)。しかも、受賞スピーチを並べたなかば権威主義的な本とは正反対に、彼はほとんどの賞や授賞式を否定的なスキャンダルの場として描いたこと(そこには、文学賞は文学とは何の関係もないが、作家は文学賞に付いている屈辱的なほどわずかな賞金を拒絶するわけにはいかない、という彼の思いが前提にある)。さらに、それにかかわる自伝的なコンテクストを盛り込んであざやかな作品に仕立て上げたこと。

これだけでも、文字通り類例のない空前絶後の書といえるが、本書の真骨頂は、ベルンハルトの他の本同様、別のところにある。

ベルンハルトが30篇弱の小説と20篇弱の戯曲でくり返し描くのは、生に絶望し、世界を否定する人間である。世界否定、絶望、挫折、狂気、死、自殺が彼の作品テーマの基調であり、世界憎悪と自己憎悪の間を行き来する世捨て人のような人生の落伍者が、彼の作品の主人公のほとんどである。ベルンハルト自身、そういう人生を共にしてきた。ただそういうことなら、日本の私小説の一部もむろん、作家にはありがちなパターンで、そこから生まれた作品の多くは閉ざされ、読者の好みに左右されるだけである。

しかし20世紀世界文学を代表するといわれるベルンハルトの作品は、そうではない。2004年に刊行された『消去』の「訳者後書」で、今回の訳者でもある池田信雄は、こう書いている。

「ベルンハルトの作品が徹頭徹尾暗く重苦しいかというとそうではない。ここにベルンハルトの文学の奇跡がある。そこには奇妙なことにまるで別世界からさしてくるかのような透明な光が満ち、妙なる音が響いているのだ。不思議に明るいのである。世界を呪誼し自己を否定する独白は通奏低音のように暗く強いうなりを発しつづけるが、耳を澄ますと、その上に幾層にも積み重なった倍音が響いているのが聞こえる。その響きのなかに、あるべき世界のイメージが浮かび上がるのだ」

そのとおりだと思う。本書も、読者の多くはまず笑いから入るだろうが、読了したときには「笑いと涙と感動がないまぜになって」いるのではないか。

『私のもらった文学賞』は、1960年代から70年代初めに次々と受けた文学賞をテーマに、その受賞を回顧しながら70年代末に執筆され、死の直前の1988年にそれらを整理して一冊の本としてまとめ上げようとしたものだ。ベルンハルトにとって死の近さはつねにユーモアの根源でもあったが、本書にはみずからの死を前にした作家の独特のユーモアが貫かれている。

まだあれこれ書きたいことはあるが、本書のような本にそもそもコメントは不要で、ベルンハルトさんにも叱られそうな気がする。

ということで、いっさい改行のないたたみ込むようなその文体ともども、ベルンハルトの文学世界を味わってください。

ベルンハルト『私のもらった文学賞』池田信雄訳(みすず書房)カバー