みすず書房

アドルフ・ロース『にもかかわらず』

1900-1930

2015.09.28

鈴木了二・中谷礼仁監修 加藤淳訳

「そこここで、ずっと以前から、最も鋭敏な意識の持主たちが、こうした事態の本質を理解しはじめている。時代についていかなるイリュージョンももたないこと、それにもかかわらず無条件に時代の側に立つこと、これが彼らを特徴づけるしるしである。詩人ベルト・ブレヒトが、コミュニズムは富の公正な分配ではなく貧困の公正な分配なのである、と言いきるのであれ、現代建築の先駆者アドルフ・ロースが〈私はただ現代の感性をもった人びとのためにだけ書くのであって、……ルネサンスやロココ様式への憧れに身をやつしているような人びとのために書くのではない〉と明言するのであれ、どちらも同じことを言っている」(ヴァルター・ベンヤミン「経験と貧困」浅井健二郎訳、『ベンヤミン・コレクション2』ちくま学芸文庫、所収)
「アドルフ・ロースとわたしは――彼は文字通りに、そしてわたしは文法的見地から――骨壷と寝室用便器の間には区別があること、また文化にゆとりを与えるものはとりわけこの区別であること、を示したにすぎない。他の人々にはこの区別がないので、彼らは骨壷を寝室用便器として使う者と、寝室用便器を骨壷として使う者に分かれるのである」(カール・クラウス『夜に』、トゥールミン&ジャニク『ウィトゲンシュタインのウィーン』藤村龍雄訳、平凡社ライブラリーより引用)
「〈人間的な仕事がもっぱら破壊だけからなるとき、それは実に人間的な、自然のままの高貴な仕事である〉というロースの記憶に値する宣言〔…〕。破壊において証明される人間性を理解するためには、すでに〈装飾〉という竜と戦うロースの姿を追跡していなければならない。シェーアバルトがつくり出した生き物たちの話す恒星のエスペラントを聞きとっていなければならない。あるいはまた、与えることによって人間たちを幸福にするより、奪うことによって人間たちを解放しようとするクレーの〈新しい天使〉の姿をしっかりと心にとめていなければならない」(ヴァルター・ベンヤミン「カール・クラウス」内村博信訳、前掲書所収)

ベンヤミンのクラウス論は1930年に書きはじめられ、翌31年「フランクフルト新聞」に4回に分けて掲載されたという。ロース『にもかかわらず』の原著は同年の31年刊。文中でタイトルの挙がった収録論考は「1908年、『フランクフルト新聞』に掲載された」と断定されている「装飾と犯罪」のみだが、「文化の堕落」への言及、「カール・クラウス」「現代の公団住宅について」からの引用は見てとれる(1933年執筆の「経験と貧困」では「陶器」の一節が引用されている)。
刊行が間に合わなかった可能性もなくはない。けれども「クラウスの新聞界に対する戦いのこの側面を最もはっきりと照らし出す光は、彼の同志であるアドルフ・ロースのライフワークから射してくる」との記述は一個の状況証拠たりうる。「炬火」発行人、『モラルと犯罪』の著者のモノグラフィ――浅井健二郎氏いわく、ベンヤミンの1930年代がここから始まる――を仕上げるにあたって、絶好のタイミングであらわれたロースの10年ぶりの新著を喜々としてひもとき、存分に活用したと考えるのは愉快だし、ごく素直な仮説ではないか。

とはいえ、ベンヤミンはロース建築の実際をよく知らなかったふしがある。『マスメディアとしての建築』の著者ビアトリス・コロミーナが指摘するとおり、「ロースやル・コルビュジエがその後建ててみせたような、移動可能ガラス住宅」と「経験と貧困」は記すのである。それにもかかわらずロースが――クラウスはともかく――異分野のブレヒトやシェーアバルト、クレーと並び立つ建築家に位置づけられているのは、ベンヤミン的星座に特有の偏向という以前に、同時代ヨーロッパにおいてロースがメディア・アーキテクトのパイオニア的存在として際立っていたことを物語っている。
たとえば「装飾と犯罪」は1920年、ル・コルビュジエが創刊間もない「エスプリ・ヌーヴォー」に2度目のフランス語訳を掲載することで先達から次世代へのバトンリレーを印象づけてみせた一方、トリスタン・ツァラが自邸の設計をロースに依頼したことが示すように「ダダイストの間で聖典の位置を獲得」していた(『ウィトゲンシュタインのウィーン』参照)。そしてそのような前衛的部分での「非建築-建築」の複合性から「非建築的考察」までの広がりが、『虚空へ向けて』(アセテート、2012年刊)につづく本書の刊行によって日本でもようやく見えてきたのではないか。ロース建築そのものへの遡行は、まさにこの地平から始められるべきだろう。

* 本書カバーで謳った「本邦初訳」14篇は以下のとおり。「『他なるもの』より」「陶器」「文化」「ウルクに」「ちょっとした出来事」「ウィーン人に告ぐ」「音響効果の不思議」「山村で家を建てるためのルール」「口出しするな!」「読者からの質問と回答」「都市住民が移住する日」「装飾と教育」「短髪」「家具と人間」。もちろん初訳ばかりでなく、「装飾と犯罪」をはじめ新訳の切れ味も書店でひもといて確かめていただきたい。