みすず書房

原武史『潮目の予兆』

日記 2013・4-2015・3

2015.08.26

2013年9月7日(土)
  • 午後9時半より、ブエノスアイレスで開かれたIOC総会での東京のプレゼンテーションの生中継をNHKで見る。冒頭の高円宮妃のスピーチ。フランス語、英語ともに発音は流暢だが、内容は明らかに政治的なメッセージを含んでおり、憲法違反の疑いは濃厚だ。…最も驚くべきは、安倍首相が福島の汚染水漏れについて、「状況はコントロールされている」とし、「健康問題については今までも現在も将来も全く問題ない」と答えたことだった。国内でも聞いたことのないはっきりした口調で問題を否定するその自信、いや虚勢はいったいどこから来るのか。
9月8日(日)
  • 朝起きたら東京に決まっていた。(…)一体誰が昨夜の首相の言葉の責任を追及するだろうかと思っていたら、TBS「サンデーモーニング」で大宅映子が、NHKの正午のニュースでやくみつるが、それぞれちゃんと指摘していた。
9月9日(月)
  • 原発事故で訴えられた東電の勝俣前会長や菅元首相ら42人全員が不起訴になる。ブエノスアイレスでの首相のスピーチで問題ないとされた上に、誰も責任者はいないとされた福島県民の気持ちやいかにと思っていたら、NHKの「ニュースウオッチ9」で県民がインタビューに答えていた。やはり相当の不満がたまっている。
    この東京と東北の間に横たわるギャップの大きさは、まるで東北の冷害が深刻化した昭和初期のようだ。「只今の世の中は俗に申せば何でも東京の世の中です。(中略)兎に角東京のあの異常な膨大につれて、それだけ程度、農村の方はたたきつぶされて行くという事実はどうあつても否定できん事実です」という橘孝三郎『日本愛国革新本義』(1932年)の言葉がよみがえる。

たまたま開いたページにあった三日間の日記を拾ってみたが、これだけでも日記の効用はよく出ている。2020オリンピックの東京招致のプレゼンテーションでの安倍首相の発言は多くの人が知っているが、その翌々日に原発事故で訴えられた全員が不起訴になったことはあまり知られていないだけでなく、ここに連関があるのかどうか、近過去の記録である日記を通してはじめて立ち止まって考えることができること、メディアは一色だとはいえ、反対意見も一応は伝えていたこと、つまり思い込みあるいは記憶の修正、それと、著者の考察をとおして、今の状況を過去の歴史と関連づけて考えることもできること。

優れた書き手による日記を通して、ほんの二年前にほぼ同じ時空間で共有していたことをわれわれ自身復習し、新たに学び、いまの新国立競技場問題や安保関連法案などとのつながりについても思いをめぐらすことができる。

2014年11月29日(土)
  • 正午前に自由が丘の「いちばんや」で「しろ醤油三種入りラーメン」を食べる。980円。完食。相変わらずの後味のよさに深く満足する。

こういう日常の記述も、「グルメ」情報だけでなく、将来の大衆文化のための資料になる可能性もある。

著者は半世紀ほど前に書かれた竹内好の「日記」に触発され、たとえ身辺雑記であっても、「日記」というスタイルが、書き手にとっても現在の読み手にとっても未来の読者にとっても重要なのではないかと考え、本書を著した。遠い将来の読者にとってこの『日記』がどう受け取られるかはともかく、著者独特の語り口からなる新刊である本書を通して、この数年の「私」と「時代」をふり返っていただきたい。