みすず書房

私情が大事だ、「孤独なかけ」が必要だ

海老坂武『戦争文化と愛国心――非戦を考える』

2018.03.23

現在の日本とのつながりを遡るように、戦後思想を読み直し、考え直す。そこから非戦を考えること。
戦時の空気の中でたやすく軍国少年となっていった日々の記憶に、戦後の民主主義、新憲法の空気をたっぷり吸い込んだ日々の記憶に、問いかけ、語らせること。
客観的資料と、経験‐回想が交差する中で、戦争への道を用意する戦争文化の生成、その核にある愛国心の形成過程、さらに、戦後の脱愛国心、脱ナショナリズムの展開が明らかにされてゆく。

戦争文化が、気づかぬうちに暮らしの細部に宿り、国民のうちにじわじわと浸透し、やがて国全体を覆って、戦争へと導いていったさまを、著者は自身の体験として知っている。国民学校の教科書を声をそろえて読み、ラジオから流れる軍歌を一緒になって歌い、国威発揚のスローガンを疑いもなく唱えて、空気のように戦争文化を呼吸していた少年の日。
戦争文化は、そして、その戦争文化に反応する人々の感情、メンタリティは、過去のものと言えるか。

「戦争」と「非戦」について、読みつづけ、考えつづけ、みずからの内にたくわえてきた蓄積から選ばれたかずかずの文章が、時代のうねりをリアルに伝えながら、読む者を、原テキストのほうへと強い力でひっぱってゆく。政治学者、社会学者、憲法学者とはちがう、文学者としての立ち位置からしか書き得なかったスタイルで、不服従の思想、非戦の思想の系譜がたどられる。

反戦ではなく非戦、その違いは何か。長い間私は反戦に比べて非戦を生ぬるい言葉だと思っていた。だがそうではなかった。「非戦」にはその対語としての「加戦」が存在していた。この戦争を戦うか戦わないか、「非戦」とは戦争を身近に感じ、自分の態度決定を迫られるときに、「加戦」に対抗して強い覚悟をもって用いられた言葉と言うべきであろう。

鶴見俊輔はあるところで、「平和の思想」は学術的、客観的な情勢分析だけでは成り立たない、私情が大事だ、「孤独なかけ」が必要だと書いている。状況論から出発するのでなく、自分の反戦の意志から出発せよ、そこから自分なりの情勢把握を作り行動計画を立てよ、と。平和、反戦を「非戦」と置き換えても同じことが言えるだろう。

記憶に問いかけながら「戦争」と「非戦」を考える、「孤独なかけ」としての一冊。