みすず書房

『人体の冒険者たち』第1章ウェブ転載。ギャヴィン・フランシスの臨床医学的博物誌!

G・フランシス『人体の冒険者たち――解剖図に描ききれないからだの話』 鎌田彷月訳 原井宏明監修

2018.07.23

小説のようなケースヒストリーに古今東西の人体をめぐる逸話を交えた、読む人体図鑑とも呼べる医療エッセイ。第1章を以下でお読みになれます。

1 魂に神経外科手術を

われわれ人間の魂とは、斯くも不思議にできあがっていて、斯くもかぼそい糸で繁栄に、あるいは破滅に、結びつけられているのです。
──メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』

はじめて脳を手にもったのは、19歳のときだった。思ったより重くて、灰色で、引き締まっていて、実験室のように冷えていた。表面はつるんとして滑りやすく、川床から引っぱりだした、藻に覆われた石のよう。落としてしまって、このしっかりした形状が床のタイルの上で砕け散ることになるのではないか、とひやひやものだった。
医学部に入って2年めのことだ。1年めはもう大忙しで、講義に出て、図書館に行って、パーティがあって、春学期があって。ギリシャ語やラテン語の専門用語辞典に慣れるように言われ、文字どおり骨の髄まで生体を剥いでいって人体の生化学をマスターするように言われ、それといっしょに器官ひとつひとつの生理学を力学と数学の両面からマスターするように言われ。器官ひとつひとつ、といっても、脳はまだ。脳だけは2年めだったのだ。
神経解剖学実験教室は、エディンバラ中心部にあるヴィクトリア様式の医学部校舎の3階にあった。入口の上にかかる石には、こう彫ってある。

SURGERY
ANATOMY
PRACTICE OF PHISIC

〔上から手術、解剖学、医術演習の意〕

解剖学という語に重きが置かれているのは、人体の構造の研究こそが第一義であるという宣言で、学習していくなかで携わるほかの技術──手術や投薬(「医術」)──は、副次的だということだ。
その実習室に行くには、いくつか階段を昇り、シロナガスクジラ1頭分の顎骨をくぐり、アジアゾウ2頭分の骨格をすり抜けなければならない。こういった埃っぽい遺物の壮大さ、珍品陳列棚のような奇妙さには、どこかほっとするところがあって、まるでヴィクトリア時代の蒐集家や法律書編纂者や蔵書家の友愛会に、入会を許されでもしたようだった。さらにまたいくつか階段を昇り、それからいくつか観音開きの扉を開けると、ほら、あった。脳40個がバケツに入っている。

講師のファンネイ・クリストマンズドティア先生はアイスランド人で、学生のサポート係も兼ねていたから、妊娠に気づいたり、試験に一度ならず落第したりすれば、会うことになる人だった。学生たちの前に立った先生は、脳の半球を掲げて、脳葉や脳溝を指し始める。横断面から見るかぎり、脳のなかは表面より白っぽくなっていた。外側はなめらかだが、内側は仕切りや節や線維の束が複雑にこみ入っている。仕切りを「脳室」というのだが、そこはとりわけ入り組んでいて神秘的だった。
バケツから脳をひとつ、保存液から立ち上る刺激臭に目を瞬かせながら、もち上げる。それは美しい物体だった。両手で脳を抱えながら、この物体がかつて保っていた意識に、このなかのニューロンとシナプスを通じて閃いていた感情に、思いを馳せてみる。
解剖実習でペアを組んだのは、哲学を学んでから医学に転じた女子学生だった。「それ、貸して」そう言って、脳を手にとる。「松果体が見たいんだけどなあ」
「松果体って?」
「まさかデカルト、知らないの? デカルトが言ったの、松果体は魂の座だって」
彼女はふたつの脳半球のあいだに、本のページを開きでもするように、両手の親指をあてがう。そこを走る綴じ目の真ん中に、小さな塊、灰色の豆のようなものがある。「ほら、あった」声を上げる。「魂の座」

それから何年か経ち、わたしは神経外科の研修医になって、生きている脳を日々扱うようになっていた。神経外科手術室に入るたびに畏れ多くて、自分のビニールサンダルを脱ぎたい気持ちに駆られる。音響が一役買っていた。ストレッチャーのゴトゴトいう音か、あるいは職員のひそひそいう声が、そこかしこに響いては跳ね返っている。手術室そのものは、上下ひっくり返ったボウルのような半球体、たくさんの正多面体パネルでできたドーム構造で、1950年代の建築だった。冷戦期のレーダー・ドームか、ドーンレイの原子炉ドームを内側から見たら、こんな感じなのだろう。そのデザインが、当時信じられていた、テクノロジーが約束してくれる未来を、具現化しているようだった──すぐ先の未来を──貧困も病気もない未来を。
しかし、その後も病気はたくさんあった。昼も夜もなく延々と、損傷を受けた脳を相手にしているうちに、すぐにわたしもほかの人たちと同じように、打撲や出血をした器官として脳も手当てするようになった。卒中の患者さんたちがいて、「茫然」自失して、血栓によって麻痺を起こしている。悪性の腫瘍があって、そのせいで脳がじわじわと頭蓋骨に押しつけられて、人格が壊れていっている。昏睡や緊張病、自動車事故や発砲事件、動脈瘤や出血がある。感情がどうの魂がどうの、といった説をこねまわす暇などまずなかった、ある日、教授──わたしの上司──に、大事なオペなので助手に入ってくれ、と言われるまでは。

わたしが手を消毒して手術衣を着ているうちに、教授はもう仕事にかかっていた。「入って、入って」緑の布が山になった手術台のところから、目を上げて言う。「ちょうどお楽しみのところだよ」。わたしは教授と同じ格好。台の上にあるのと同じ緑の布をまとい、手術用マスクで鼻から下の顔を覆っている。照明が教授の眼鏡を輝かせる。「ちょうど頭蓋骨に窓を開けるとこなんだ」。教授は台のほうに向き直ると、向こう側にいる看護師とのおしゃべりに戻る。アメリカの戦争映画の話題だ。そして頭蓋骨に鋸で切りこみを入れ始める。骨から煙が上がり、そのにおいがバーベキューの肉を思わせる。看護師が、切ったところに水をスプレーして、粉塵を集めながら骨が熱くならないようにする。吸引チューブも手にしていて、煙を吸いこませて、教授の視界が曇らないようにする。
片側には麻酔医が座っていて、丈の長い緑の手術衣ではなく青の上下を着ている。クロスワードパズルをやっていて、布の山の下に手を伸ばすこともある。ほかには看護師がもう二人、手術台から少し引いて立っていて、どちらも両手を後ろで組んで、小声で話している。

「あっちに回って」教授がわたしに言って、手術台の向かい側の空いたところを顎で指す。すっ飛んで位置に着くと、看護師が吸引チューブを渡してくれる。患者さん──仮にクレアと呼ぼう──とは手術前に会っていて、難治性のひどいてんかんで苦しんでいるのも知っていた。めったにない症例で、腫瘤か外傷ができているだけでなく、組織の電気的バランスも変化をこうむっていた。構造という点では、クレアの脳は正常なのだが、機能という点では脆弱で、つねに発作を起こすか起こさないかの瀬戸際にあった。もし正常な脳活動──思考、発話、想像、知覚──が、音楽のリズムとともに脳のなかを進んでいるとしたら、脳の発作は、耳を聾する雑音の暴発になぞらえられるかもしれない。クレアはそんな発作にさんざん傷めつけられ、怯えさせられ、ハンディを負わされた末に、命がけでこの脳外科手術に臨んだのだ。
「吸引して」と教授。わたしのもっているチューブを動かして、自分の鋸の刃のほうに向くようにしてから、さらに切開を進める。「神経生理学科の先生が言うには、発作の元凶はこの真下なんだ」。あらわになった頭蓋骨を鉗子で軽く叩く。コインを陶器に落としたような音がする。「ここで発作が起こるんだよ」
「つまり、その発作の元凶を切除するんですか?」
「そう。だけど、ここは発話をつかさどってるとこのすぐそばなんだ。切ってるうちに口が利けないようにしちゃいました、では、患者さんも嬉しくないでしょ」

頭蓋骨をぐるり切り終えると、教授は小さなレバーをとり上げる。自転車のタイヤを車輪から外すのに使うレバーに似ていて、それで円形の骨をもち上げる。その骨片を看護師にわたす。「失くさないように」。できた窓は直径5センチくらいで、そこから硬膜という頭蓋骨の内側の保護層が見えている。つやがあってオパール色をしていて、ムール貝の殻の内側のよう。教授はその膜もとり除くと、現れた円盤状のものを見下ろす。ピンクがかったクリーム色で、引き潮の砂浜のようにうねがあって、紫と赤の糸のような血管で表面が網目模様になっている。その脳そのものが、ゆっくり脈打って、患者の心臓が動くたびに盛り上がったり沈んだりする。
そしてここからが、教授の言う「お楽しみ」のところ。麻酔薬の投与量が少しずつ減らされて、クレアがうめき声を上げだす。まぶたがぴくぴくしたかと思うと、開く。布がめくられ、いまや頭蓋骨に打ってあるステンレスのピンがあらわになっている。

言語聴覚士が椅子を動かして、手術台のそばに座り直し、前かがみになってクレアに顔を近づける。説明する。あなたは手術室にいます、頭は動かせません、これからカードを見せていきますから、描いてあるものの名前と何に使うかを言っていってください。うなずけないクレアが、うなるような声を出して、検査が始まる。クレアの声は力なく間延びしている──鎮静剤のせいだ。カードに描いてあるのは、子どもの絵本にあるような絵。「時計。時間を見るもの」とクレア。「鍵。ドアを開けるもの」。すぐわかるものを描いたカードがつぎつぎに示されて、クレアを初めてことばを覚えたころに戻していく。がんばってカードだけに集中していて、眉根にしわを寄せ、額に汗を光らせている。
そのあいだに、教授の手の鋸とメスは、神経刺激器具に換わっている。息を止めるや、その器具で脳の表面をそっとなぞりはじめる。こうなると、もう空元気もどこへやら、冗談や雑談もまったくなし。教授が全神経を集中させているのは、2本のピン先のあいだの2ミリだ。器具の電気刺激は最小──皮膚に当てても感じるか感じないかくらい──だが、敏感な脳の表面ではその効力は絶大になる。正常な機能を破壊するような、激しい落雷の状態を引き起こすのだ。患部は小さいが、そこに何百万何千万もの神経細胞と、その細胞どうしを接合する構造がある。

「しゃべり続けてたってことは、ここは「能弁」じゃなかったわけだ」と教授。「切除できるぞ」。そして番号のついたラベルを、極小のスタンプのように、さっき器具でなぞったばかりのところに置いていく。その番号を、看護師のひとりが注意深く書き留めているあいだに、次のラベルを置く。教授はこの作業を「マッピング」と呼ぶ。人間の脳は地図に載っていない国で、外科的発見に向かって開かれているのだ。そっとなぞってみては、番号をふり、記録をする。几帳面さ、忍耐強さを要する仕事だ。手術台のところに16時間立ちっぱなしで、トイレにも行けず軽食もとれないまま、患者と向き合い続けることもあるという。
「バス。乗り……乗り……」
「発話の停滞です」言語聴覚士が言って、こちらを見上げる。「これならどうでしょう?」別のカードを見せる。「ナイフ。切いいい、いうう……」
「さあ、ここだ」教授が、たったいま電流が通り越したところを指して言う。「能弁なとこ」。そこにまた一枚ラベルをそっと置くと、先に進む。
わたしは能弁なところの組織をためつすがめつして、まわりの部分とどこか違って見えやしないかと考える。音にしているのは声帯と喉にせよ、ここにクレアの声の源があるのだ。発話を可能にしているのは、まさにこの場所でニューロンが行う結合と、そのときの火花がつくりだすパターンで、だからこそ、ここが神経外科学的に「能弁」になるのだ。とはいえ、この大脳皮質の一部こそがクレアが世界に向けて話す大もとだ、と示すような、目に見える特徴もきざしさえもない。

医学部の学生だったとき、神経外科の客員の先生に、脳腫瘍の切除手術のスライドを見せられたことがある。前の列のだれかが手を挙げて、繊細な作業をやっているようにはとても見えません、と感想を述べた。「脳手術っていうと、すごく緻密な作業のように思われがちだけど」と先生は答えた。「細心の注意がいることをやってるのは、形成外科手術と微小血管手術だけだよ」。そして壁のスライドを指す。映っているのは、スチールのピンや鉗子やワイヤが規則的に配された患者の頭だ。「ほかは、庭仕事にでも行く感じ」
クレアがまた眠りにつくと、その脳から教授は小さな塊──「てんかん源性脳病巣」の部分──を切除して、ゴミ箱に落とす。「いまのは何をつかさどっているところですか?」わたしは尋ねる。教授は肩をすくめる。「わかんない。能弁じゃないってことしかね」
「患者さん、気づきますかね?」
「たぶん気がつかないよ、脳のほかの部分が補うだろうしね」

手術が終わりかけるころには、クレアの脳には月のクレーターみたいな痕ができた。もう一度その脳と意識に麻酔をかけると、わたしたちは切断した静脈を焼灼し、クレーターを液体で満たし(こうしておくと、頭の内側に気泡が残って動き回ったりしない)、きれいに縫い目をつけて硬膜を縫合する。骨の蓋をもとに戻して、チタンの網と小さなネジで留めつける。
「落とさないように」ネジを1本1本わたしてくれながら、教授が言う。「このネジ、1本50ポンドもするんだから」
それから、巻き上げて邪魔にならないところにクリップで留めてあった頭皮をもとに戻して、ホッチキスで固定する。

翌々日、クレアに会った。どんな感じですか。「まだ発作は起きてません」とクレア。「それにしても、もっと皮膚をマシに留めてくれればよかったのに」。唇が広がって、得意げな笑みがその顔をほころばせる。「これじゃフランケンシュタインだわ」

copyright © Gavin Francis, 2015
copyright © Kamada Hogetsu, 2018
(原著作権者・翻訳著作権者のご許諾を得てウェブ転載しています。
なお、転載にあたり読み易いよう行のあきを加えた箇所があります)