みすず書房

「パクス・アメリカーナ」時代の「終わりの始まり」

寺西俊一・石田信隆・山下英俊編著
『農家が消える――自然資源経済論からの提言』

2018.10.26

まもなく日米通商交渉が開始されます。いわゆるTAG(物品貿易協定)をめぐり、『農家が消える』の編著者のひとり石田信隆さんによるネット版「補遺」を送ります。(編集部)

『農家が消える』補遺
「パクス・アメリカーナ」時代の「終わりの始まり」

石田信隆

この本が生まれる過程でよく出たキーワードがふたつある。「トランプの時代」と「ポスト・パクス・アメリカーナの時代」である。結果的に書名は、『農家が消える』という、いささかショッキングだがドメスティックなものになった。

校正終了直後の9月末から、TAGという聞きなれない言葉が日本国内を飛び交っている。スーツケースにつけるアレのことではない。Trade Agreement on Goods(物品貿易協定)だそうで、安倍‐トランプ会談で交渉開始が決まった。
ところが、日米共同声明の日本語版にはTAGという略称があるが、英語版にはない。海外ではFTA(自由貿易協定)と報道されている。日本政府は、「2国間の日米FTA交渉は行わない」と何度も明言してきたので、話が違うではないかという批判をかわすための造語のようだ。従来の政府説明では、FTAは物品やサービスの自由貿易協定であり、それに知的財産権などの経済ルールを盛り込むのがEPAだから、TAGは正真正銘のFTAなのである。

またなのね、というのが筆者の実感である。野党時代の自民党は、「TPP反対」を旗印に2012年に政権に復帰した。しかし、「例外なき関税化でないことが確認された」として、TPP交渉を開始した。交渉でアメリカに大幅譲歩したところでトランプ新大統領が登場、TPPから離脱してしまったが、日本はアメリカ抜きの11か国でのTPP合意をけん引した。日米FTA交渉の浮上をけん制し、TPPへのアメリカの復帰を促すというのがその理由であった。
そして今度は、FTAではないとして「日米TAG交渉」が開始される。口先で糊塗しながら、次々に譲歩を重ねてきたのが、近年の日本の経済外交である。

2019年1月にも開始が予想されるTAG交渉では、自動車関税引上げを武器に農産物の一層の市場開放を迫るアメリカとどう渡り合うかが焦点、と言われる。だがそのような構図も、もはや限界に達している。詳しくは本書をお読みいただきたい。
日本農業は生産の縮小が続き、農村も「徳俵」で必死にこらえているのが現状。ここでアメリカに大きな譲歩をすれば、結果は明らかである。自動車のことは自動車で解決すべきではないか。

トランプは世界をどこに連れていくのだろうか。エルサレムへの大使館移転やINF(中距離核戦力全廃条約)破棄表明は、平和へ向けての気の遠くなる努力の積上げを瞬時にして無にする行為である。貿易面では、アメリカが満足しない協定はすべて公正でないとして、力づくの帝国主義の時代に復帰したいかのようだ。
「トランプの時代」は、トランプ個人の性格だけによるものではない。これは「パクス・アメリカーナ」時代の「終わりの始まり」を示唆している。
長期的に見れば、将来、世界経済の中心は、否応なしに中国などアジアにシフトするだろう。「どのようなプロセスを経て、どのような秩序に向かうのか」が、今の私たちに問われている。

そのような時に、日本に求められるのは、自立して自分の頭で考え、明確な理念を掲げて、プロフェッショナルな内外政策を実行することである。口先の言葉遊びで重要な政策を決定し、国会の審議時間を熟議のバロメーターとするようでは、日本はトランプの大波に呑み込まれるだろう。はたして、憲法改正もこのようにして行うつもりなのであろうか。
本書で出てくる話題は農業・農山村のことが多いが、このような意味での政治のあり方のケース・スタディとしてもお読みいただくと、面白いのではないかと思う。

終わりに、本書の刊行後に目についた情報をもうひとつ(2018年10月22日付日本農業新聞)。
今夏の甲子園大会で準優勝して話題をさらった金足農業高校(秋田)のことである。その活躍は農業界でも大変な話題になったが、ベンチ入り18人中、実家が農家という選手はいない。また、全校生徒の9割以上が農家以外の子弟で、来年卒業後に就農する生徒はいないそうだ。本書の題名は口先から出たものではない。

copyright Ishida Nobutaka 2018