みすず書房

「プロローグ 恐竜化石の大発見時代」 ウェブ転載

S・ブルサッテ『恐竜の世界史――負け犬が覇者となり、絶滅するまで』黒川耕大訳 土屋健日本語版監修

2019.08.08

(「プロローグ」の全文を以下でお読みになれます)

「プロローグ 恐竜化石の大発見時代」

スティーブ・ブルサッテ

2014年11月の寒い朝のこと。夜が明ける数時間前、タクシーを降りて人混みをかき分けながら北京の中央駅に入った。切符を握りしめ、早朝の通勤客でごった返す構内を進む。少し焦りはじめていた。列車の出発時刻が迫っているのに、どこに向かえばいいのか分からない。独りきりだし、知っている中国語は数えるほど。できることと言えば、切符に書かれた漢字とホームに表示された漢字を見比べることくらい。周りが見えなくなってきた。エスカレーターを駆け上がっては駆け下り、新聞の売店や麵類の店の前をビュンッと通り過ぎる。まるで狩りのさなかの捕食者のように。カメラや三脚などの調査器具の重みでたわんだスーツケースが後ろで弾んでいる。そのスーツケースが足元を回り込んできて、向こうずねをしたたかに打った。周りが騒がしくて、四方八方から怒鳴られている気がする。でも、立ち止まらなかった。

冬物のダウンコートの下はもはや汗だく。ディーゼルの排気ガスが立ち込めていて息苦しい。前方のどこかからエンジンの始動音が聞こえ、続いて笛の音が鳴り響いた。もうすぐ列車が出発してしまうらしい。ふらふらになりながらホームにつながるコンクリート製の階段を下りていくと、お目当ての漢字が目に留まり、心底ホッとした。ようやく着いたのだ。そこに、私の乗る列車があった。この列車は、一路北東に向かい旧満州の錦州市を目指す。錦州市はシカゴほどの規模の都市で、北朝鮮との国境から数百キロの所にある。

それからの4時間は、コンクリート工場や靄もやのかかったトウモロコシ畑を窓外に眺めながら、なるべく気持ちを落ち着かせようと努めた。しかし、時折まどろんだだけで、睡眠不足はあまり取り戻せなかった。胸の高鳴りを抑えられなかった。この旅路の先にある謎が待っている。穀物を収穫していた農家が偶然見つけた化石のことだ。すでに数枚の不鮮明な写真は見ていた。私の友人であり、中国でもっとも有名な恐竜ハンターの一人である呂君昌から送られてきたものだ。重要な化石のように見えるということで私たちの見解は一致していた。もしかすると、古生物学者が求めてやまないたぐいの化石かもしれない。もしこれが完璧な状態で保存された新種の化石なら、1億年以上前に生きていた動物を、躍動し呼吸する生身の生き物として感じ取ることができる。そこで、君昌とともに直接確かめに行くことにしたのだった。

錦州市の駅で列車を降りた君昌と私は、地元のお偉方の歓迎を受け、カバンを引き取られて二台の黒塗りのSUVに乗せられた。たどり着いた先は、驚くほど特徴のない外観の市立博物館。まるでこれから首脳会談が開かれるかのような厳粛な空気の中、ネオンの明かりがちらつく長い廊下を連れて行かれ、二組の机と椅子が置かれた部屋に通された。小さな机の上に一枚の岩板が置かれている。机の脚が今にも折れてしまいそうに思えるほどの重量感がある。お偉方の一人に中国語で何やら話しかけられていた君昌が、やがて私の方を向いて軽くうなずいた。

「行こう」と、妙なアクセントの英語で呼びかけられた。中国で生まれ育ちアメリカで大学院時代を過ごした君昌は、中国語っぽい抑揚とテキサスなまりが混じり合った独特な話し方をする。

二人で岩板が置かれた机へと歩を進めた。全員の視線を感じる。室内に不気味な静寂が漂う中、お宝に近づいていった。

目の前に、化石があった。それまでに私が見てきた化石の中でも指折りの美しさだった。ラバほどの大きさの骨格化石で、チョコレート色の骨が周りを取り囲むくすんだ灰色の石灰岩から浮き出ている。恐竜であることは確かだ。ステーキナイフのような歯、鋭い爪、長い尾を持っていることから、映画『ジュラシック・パーク』の悪役ヴェロキラプトル(Velociraptor)に近い親戚とみて間違いない(1)

ただしそれは、普通の恐竜ではなかった。骨は軽くて中空で、後肢はサギのようにほっそりしている。その細身の骨格は、活発で、躍動的で、敏捷な動物ならではのもの。しかも化石には、骨だけでなく全身を覆う羽毛もあった。頭から首にかけてはヒトの髪の毛に似たふさふさした羽毛が、尾には幾重にも枝分かれした長い羽毛が生えている。前肢には羽根ペンを思わせる大ぶりの羽根が並んでいて、互いに重なり合い翼を形作っている。

その恐竜は、まるで鳥のようだった。

およそ1年後、君昌と私はこの骨格を新種として論文に記載し、チェンユエンロン・スンイ(Zhenyuanlong suni)と名づけた。私は、このチェンユエンロンを含め、過去10年間に15種ほどの新種の恐竜を記載し、古生物学者としてのキャリアを築いてきた。故郷のアメリカ中西部を巣立ち、スコットランドの大学に職を得て、世界各地に恐竜研究の拠点を持つまでになった。

チェンユエンロンは、私が研究者になる前の小学生時代に教わった恐竜像からはかけ離れている。当時教わった恐竜像は「大きくて鱗に覆われた頭の鈍い野蛮な生き物」というものだった。環境にもほとんど適応しておらず、ただのしのしと歩き回り、無為に時を過ごし、滅びるのを待つだけの存在だったと聞かされた。進化の失敗作。生命の歴史における袋小路というわけだ。原始的な怪物が、人類が誕生するはるか昔に現れ、そして滅びた。しかも、その怪物が生きていたのは、まるで別の惑星かと思うほどに現代の地球とは似ても似つかない太古の世界だったという。恐竜は、博物館で見る展示物であり、悪夢に出てくる映画の怪物であり、あるいは子供時代に夢中になるキャラクターであって、現代に生きる私たちとはほぼ関係のない、したがって真面目に研究する価値のない生き物だと思われていた。

そうした固定観念はまったくの誤りであり、ここ数十年のうちに崩れ去った。その間、新たな世代の研究者がかつてない勢いで恐竜の化石を採集し続けてきたからだ。今も世界のどこかで、アルゼンチンの砂漠からアラスカの凍てつく荒野に至るまでのあらゆる場所で、新種の恐竜が平均して週に一度のペースで発見され続けている。もう一度言うのでよく嚙みしめてほしい。新種の恐竜が、週に一度、見つかっているのだ。つまり、毎年およそ50種ずつ増えている(チェンユエンロンもその一つだ)。新しい化石が見つかっているだけではない。その化石を研究する手法も新しいものが登場してきている。そうした新技術を使うことで、古生物学者は、先人には思いもよらなかった方法で恐竜の生態や進化を解明できるようになった。CTスキャナーを使えば恐竜の脳や感覚器官について調べられるし、コンピューターモデルを使えば恐竜がどんなふうに動いていたかを探れるし、高性能の顕微鏡を使えば恐竜がどんな色をしていたかということまで明らかにできる。ほかにも挙げればきりがない。

私は、こうした熱狂のさなかにいられることに深い喜びを感じている。世界には私のほかにも多くの若手古生物学者がいる。男性もいれば女性もいて、生い立ちや経歴もさまざまだが、皆、映画『ジュラシック・パーク』を見て大人になった世代だ。私たち20代、30代の大勢の研究者が、互いに協力し、先輩の教官に指導を仰ぎながら、この業界を支えている。新しい発見をし、新しい研究をするたびに、それまでより少しだけ、恐竜のことや、恐竜がたどった進化の物語が分かってくる。

それこそが、私がこの本で語りたい物語だ。恐竜はどこから来て、どうやって支配者に成り上がったのか。どのようにして巨大化し、あるいは羽毛と翼を発達させて鳥に進化したのか。そして、なぜ鳥以外の恐竜が滅び、その結果として現代の世界に至る道が拓け、私たち人類が誕生することになったのか。そんな壮大な物語を語ろうと思う。その中で、私たち研究者が手持ちの化石を手がかりにその物語をまとめ上げてきた過程についても紹介したいし、皆さんには、恐竜を探すことをなりわいとする古生物学者の気分をいくらかでも味わってもらいたい。

しかし、私が何よりも明らかにしたいのは、恐竜は別の惑星の生き物でもないし、進化の失敗作でもないし、ましてや私たちと無関係でもないということだ。恐竜は目覚ましい成功を収め、1億6000万年余りも繁栄し、生命史上屈指の驚異的な生き物に進化した(現代に生きる恐竜である約1万種の鳥類もその一例だ)。恐竜のすみかは私たちのすみかでもある。つまり、気候や環境の気まぐれな変動にさらされるこの地球だ。恐竜が経験したその気まぐれな変動に、私たちも対処を迫られている(少なくとも将来的には対処することになるだろう)。恐竜は、絶え間なく変わり続ける世界に合わせて進化していった。大規模な火山噴火や小惑星の衝突があったり、大陸が移動したり、海水面が絶えず変動したり、気温が不規則に上下したりする中で進化していったのだ。恐竜はこれ以上ないほどうまく環境に適応していたが、結局、突然の災厄に対処できず、ほとんどの種が絶滅した。そこに私たちへの教訓が含まれていることは疑いようがない。

恐竜の盛衰史は、巨大な怪物や現実離れした生き物が地球を支配していた時代の比類なき驚異の物語だ。私たちの足元にある大地を、かつては恐竜が歩いていた。今は地層の中に眠っているそれらの化石を手がかりにして、この物語は紡がれている。それは、私にとって、地球の歴史の中でも一、二を争う素晴らしい物語だ。

(1) 映画に登場する“ラプトル”のモデルは、ヴェロキラプトルではなくデイノニクスではないかと言われている。

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