みすず書房

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『パブリッシュ・オア・ペリッシュ』『科学者心得帳』

科学者の倫理と社会的責任を考える二冊

科学者の不正事件が新聞・TVで報道されるとき、必ずみんなが問うのは2種類の「なぜ?」である。一つは、「どうして、不正が可能だったのか?」「どのようにして、たくさんの専門家がこの人に騙されたのか?」という疑問。不正が入り込むシステムに関する疑問とも言える。もう一つは当然ながら、「そもそもなぜ、科学者が悪質で破廉恥な不正に手を出すのか?」といった、科学者の世界観や倫理観に関する疑問だろう。

山崎茂明『パブリッシュ・オア・ペリッシュ――科学者の発表倫理』は、科学者の営みに不正が入りこむシステムの問題に注目した本である。著者は、科学者の不正行為の枠組みや対応策についての知を体系化する地道な努力を重ねてきた、国内無二の専門家。本書では、「パブリッシュ・オア・ペリッシュ」という言葉に象徴される科学者の現実に深く分け入って、共同研究と共著論文の増加、量的な研究評価指標への依存傾向など、研究社会の構造がいまや不正を排除できない要因を具体的に指摘する。これまで業界内の閉じた議論の対象でありがちだったが、本書はそれをより幅広い議論の場に提起することを意図するものだ。

◆レフェリーシステムは完全なフィルターか

「後に誤りであることがわかった論文を出版してしまう」ことと、「後に高い評価を得た論文を却下してしまう」ことの、どちらが編集者にとって重大な失敗と考えるか。この問いへの答えは、欧米と日本では大きく異なっていた。欧米では、「後に誤りであると判明した論文」を採用してしまったことよりも、「優れた論文を不採用にする」ことのほうが、重大な失敗と考えていた …続きを読む »
(山崎茂明『パブリッシュ・オア・ペリッシュ』第11章より)

◆オーサーシップの定義が揺らいでいる

研究論文の著者の定義は「発表された研究内容に責任を持ち、研究において十分な貢献を果たした人々」である。助言や技術的な協力、単なるデータ収集、研究組織の長というだけで、実際的な寄与のない人を「著者」に加えることはできない。謝辞の対象と著者を正確に分けることが研究者に求められている。しかし、実際には、オーサーシップをめぐる争いごとは、研究活動のなかで発生する苦情のなかで、主要なものになっていることをウィルコックスは報告している …続きを読む »
(山崎茂明『パブリッシュ・オア・ペリッシュ』第10章より)

◆オーサーシップの厳格な適用は不正行為の防止につながる

不正行為の定義は、FFP(fabrication「ねつ造」、falsification「偽造(改ざん)」、plagiarism 「盗用」)を指すが、韓国のES細胞捏造事件だけでなく、ほとんどの不正行為事件にオーサーシップの誤用が付きまとっていることを本書第II部でも見てきた。 …続きを読む »
(山崎茂明『パブリッシュ・オア・ペリッシュ』第10章より)

本書から見えてくるのは、不正の土壌となっている競争、研究評価のあり方、教育のあり方は、現在の科学界の構造に根深く組み込まれていること。そして、表沙汰にならない不正が一部では常態化すらしているかもしれないという危うい現状である。科学界の外から科学と社会の将来を考える立場の人にとっても、研究者の現実をふまえた議論への糸口になるだろう。

一方、池内了『科学者心得帳』は、科学者の胸の内側の理屈に注目している。こちらの本は、自身科学者である著者が、道を踏み外さないための知識と知恵を整理して、後進の人たちのために記した覚書のような手触り。長年研究現場で重ねてきた経験と思索から得たものを後輩と共有したいという、メンターとしての著者の願いがストレートに表れている。科学分野の研究室に初めて入ったばかりの学生が、若い教官やポスドクと一緒にこの本の中のテーマについて、一つ一つ話し合うような研究室内の倫理教育の場があれば理想的ではないか。学生が幅広い観点から科学者の役割を考える足がかりになるだけでなく、それ自体が学生とメンターの関係を育む場にもなる。ディスカッションに必要な材料を、著者は数多用意してくれている。