みすず書房

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山内昌之『歴史家の羅針盤』

著者の専門は、国際関係史とイスラーム地域研究である。数々の著作は高く評価されており、また折々の時評的エッセイの愛読者も多い。本書でも、さまざまな本が的確に書評されているばかりでなく、大きく変化する世界情勢についての多面的な「読み」を教えてくれる。しかし、いま一筋の時間がこの本に流れていることを、ここで書いておきたい。

出来上がった前著『歴史家の書見台』をお届けした2005年の春先、まだ明るい午後であったが、山内夫人のおもてなしで著者と祝杯を交わした。その折にいただいた心尽くしは忘れられない。ところが、2008年の夏に、その奥様が急逝されたのである。こんどの『歴史家の羅針盤』に収めた文章は、ほぼ発表順に並べられているのだが、その年の後半に書かれたものは少ないように思われる。
そして翌2009年に書かれた一文は、「悲しみという感情をもたない人間がいるのだろうか」と始まる。「私にしても歴史を学んできた職業柄、史上多くの悲しみが人間模様の綾を形づくってきたことを知っている。しかし、自らもささやかながら歴史の片隅に生きる者として、ストア派の哲学者によって臆病にして卑しいと評された、悲しみに身を委ねる瞬間に遭遇するとは思いもよらぬことであった。」ここから、夫人の枕元に残された福永武彦訳の『日本書紀』に語られたオトタチバナの逸事に筆は進む。さらに、しばらく後に書かれた、司馬遼太郎『殉死』の解説では、乃木大将夫人静子の写真をめぐって胸を打つ記述がなされる。そして、辻邦生没後十年を機にもとめられた随筆では、旅先の著者夫妻に辻邦生氏の訃報がもたらされた思い出を痛切に振り返っている。

本書はあくまで書評集である。ほとんどの評文は、骨太で冷静な筆致を失わない。研究者・読書家としての蓄積はもちろん、政治外交の現場に近いところから行われる辛辣な批評にも富んでいる。だがしかし、この書物の海図ともいうべき本書の上の小さな島に、抑制されながら沸き起こる著者の感情が、全体の奥行きをもたらしているのではないだろうか。「苦悩が痛いほどに分かるのは切なくも悲しいことである」という著者の言葉に耳を澄ませていただきたい。




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