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ピエール・ジャネ『解離の病歴』
松本雅彦訳 [16日刊]
19世紀末、精神医学の黎明期に、ヒステリーという病は多くの人を魅了した。精神医学の拠点・サルペトリエール病院でのシャルコーによるヒステリー供覧には、精神神経科医をはじめ哲学者や文人など実に様々な人々が訪れている。フロイトとジャネもこの講義に参加し、ヒステリーという病の不思議に並々ならぬ興味をそそられ、やがて精神分析理論を築く礎になった。
それから100年後、1980年頃のアメリカと日本で、ヒステリーへの関心がにわかに復活する。摂食障害、手首自傷、薬物乱用、多重人格、記憶喪失…。ヒステリー性解離にもとづく精神障害が人々の関心を駆り立て、ひとつの社会現象にまでなった。
なぜ100年の時を経て、ヒステリー性解離がふたたび出現したのだろうか。F・パトナムは言う。「19世紀末の症例と現代の症例とを比較すると、百年の歳月をへだててなお強い臨床像の一致がみられる。解離特性の中核が(…)時代と文化とを越えて同一不変であることは、病的解離が精神の病的症状総体の基本形態の一つであることを示す」(パトナム『解離』)
その時々の文化によって現れ方は異なっていても、解離は精神の病的症状の基本形態なのだ。本書は力動精神医学の第一人者・ジャネによる、解離症例のエッセンスである。
訳者によって精選された5症例の登場人物は、イレーヌ、ジュスティーヌ、リュシー、アシール、ナディア。心的外傷とフラッシュバック、多重人格障害における副人格出現のプロセス、感覚麻痺、成熟拒否の強迫観念などが象徴的に現れたこれらの症例は、後世に多大な影響を与えた。
ジャネの特徴は精神療法家としてすぐれた腕の持ち主だったことで、「19世紀のもっとも卓越した臨床家」(エランベルジェ)といわれている。しかし臨床に忠実だったがゆえに、証言は多くない。ジャネの死後、5000冊をこえる患者のファイルは、遺言どおり焼却された。
のこされた臨床観察には「ジャネ自身の並々ならぬ努力が垣間見られ、その滋味深く濃やかな治療実践を記載する症例報告は彼の理論を生き生きと肉づけして膨らみをもたらすものになっている。この臨床観察と患者の病いに対する親密な洞察は、私たちの日常の臨床を照らし直させるだけの力をもっている」(訳者あとがき)。
薬のない時代から薬物中心の時代へ、そして認知行動療法が模索されているいま、ジャネの理論は、現代に通じる実践性を備えているといえよう。ヒステリーという病の核心を鮮やかに洞察する本書は、精神医学の源流をみせてくれる。
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