みすず書房

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K.-W. ヴェーバー『古代ローマ生活事典』

小竹澄栄訳

「古代ローマ」と聞いたとき、文化的ルーツを異にするアジアの東端に生きる私たちの抱くイメージは、世界史の教科書で読み知ったことにはじまり、博物館に展示された遺跡からの出土品や美術品、そして、映画や小説がもとになっていることだろう。
たとえば、純白のトガの襞をなびかせた姿がまずうかぶかもしれない。着るのに大変な手間暇のかかるこの衣装を着るのは、上流階級の人びとでも、祝日や公の場に出るときなど、せいぜい月に1、2度の「絶対に避けられない場合」に限られた。重さのあるたっぷりした半円形の布をドレープをつくりながら着るには器用さと忍耐が必要で、もし奴隷の手伝いが得られないなら、着付けはいつまでも終わらなかったことだろう。
コロッセウムにくりひろげられる戦車競争にグラディエイターたちの闘い、退廃爛熟の文化の象徴である饗宴…… こうした、ある種のステレオタイプ的なイメージからさらに一歩をふみだして素顔のローマ人を思い描くことは、現代のヨーロッパ人にとっても、やはりむずかしい。

本書のなかで著者は、固定したイメージをつきやぶり、賃金労働者や農民、奴隷と解放奴隷、市場の女、職人、街角の芸人に娼婦といった人びとをも含む、古代ローマ人の〈日常〉を掬いとっていこうとしている。そして、読者にも、そのようにありのままの彼らの素顔に――それがたとえ、受け入れにくいと思われるものであっても――さまざまな面をもった人間のまるごととして受けとめ、近づいてほしい、と求めているかのようだ。

本文のわきに付された、数多くの文学・資料からの引用も見逃せない。現代にまで読み継がれてきたキケローやタキトゥスはもちろん、今日の私たちも、おそらく当時の読者もおなじ笑いにさそわれずにはいられないマルティアーリスの諷刺詩、当時の饗宴の様子を生き生きと伝えるペトローニウスの「トリマルキオーの饗宴」、動植物に鉱物、天文学などなどあらゆる分野にわたって(そこにはすくなからぬイマジネーションの創造物も含まれる)この世界を解き明かそうとした壮大なプリーニウスの『博物誌』…… 馴染みがうすいゆえに通り過ぎてしまいがちな古代ローマの作品も、日本語で読めるものが思いがけずあるのをみつけて、こうしたところから少しずつ読んでみようか、と思いたったとき、著者の思惑通り、「古代」はもう、あなたにとってよそよそしい他人ではなく、なつかしい友になっているのかもしれない。




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