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『外来精神医学という方法』
笠原嘉臨床論集
大病院でなくてもできることはなにか。
そして、大病院ではできないことはなにか。
『うつ病臨床のエッセンス』(みすず書房 2009)につづく笠原嘉臨床論集の続刊は、著者が街角の精神科からみた現代のこころの病、長年にわたる統合失調症研究、さらにそこからみえてくる「外来精神医学」という医学の在り方を問う論考を集成する。
長く大学病院に身をおき、教育・臨床に携わっていた著者は、1998年、70歳にして街角の精神科外来クリニックでの診察をはじめる。しかし、この「外来精神医学」という発想はなにもこのときにスタートしたのではない。まだ大学に身をおいていた1970年代、著者はすでにある時代の変化を感じていた。
「だいたい昭和40年前後から有名病院の精神科外来は多忙をきわめるようになった。治療の進歩が入院患者の退院をはやめたし、精神衛生思想の普及や健康保険制度の充実が今までなら精神科をおとずれなかったかも知れない人々を外来に来させるようになった。面白いことにこの頃から精神病は分裂病もうつ病も軽くなり、今までの教科書が役に立たぬ部分をもつほどにかわった」
(『精神科医のノート』みすず書房 1976)
では、通院者増で多忙をきわめ、既存の教科書に頼れない外来診療の毎日が現実となったこの十数年、著者はどのようにして街角の精神科医でありつづけてきたのだろうか。そのヒントが、本書のなかで薬物療法に触れた一文の中に垣間見える気がした。
「クリニックの医師は「薬を出す」ことを単に薬物を服用させることと単純化すべきではありません。薬を差し出す医師の手が下に添えられています。(…)精神科の診察室が原則1対1の密室ですから、意図するとしないとにかかわらず、医師‐患者関係がそこにくっついてきます」
(本書「まえがき」より)
大学医学部の教授から「街角のクリニックの先生」へと変貌を遂げていく著者のまなざし。本書を手にとった方はその中に、この数十年の精神医学を取り巻く社会・環境の変化、求められる役割の変化を、痛切に感じるのではないだろうか。
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