みすず書房

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グロスマン『人生と運命』 2

齋藤紘一訳 [全3巻]

人生に対する思いはあらゆる思いの中で最も奇妙なものである! それは伝えることができず、最も近しい人間、妻、母親、きょうだい、息子、友人、父親とも共有できない。それは心の秘密であり、心がどんなに熱望したとしても、その秘密を明かすことはできない。人間は自分の人生に対する思いを抱えたままあの世に行く。(第二部47章)

『人生と運命』の登場人物たちは心の中に秘密=自由をもちながら生きている。スターリン体制下、社会とは相いれない情念を隠した人間の生が、全編に満ちている。

表現が天職だった小説家にも、《自由》は文字どおり命とりになった。グロスマンは1949年、『人生と運命』の前編として書いた同じほどの分量をもつ原稿を「ノーヴイ・ミール」編集部にもちこんだ。検閲では原稿の9語ごとにコメントがつけられ、会議と意見の速記録は小説本体と同分量になり、『正義の事業のために』という書名まで押しつけられてズタズタにされたものが、スターリンの死後の1953年になって初めて刊行された。

つづけてグロスマンは、ひそかに書いてきた『人生と運命』の原稿を1960年、「ズナーミヤ」編集部に提出した。56年のフルシチョフのスターリン批判にはじまる「雪どけ」が最高潮に達した時期だった。『人生と運命』をソヴィエトで出版できると思うなんてグロスマンはよほどの世間知らずに見えるかもしれないが、やり手の元赤軍記者だった彼は、もちろん体制内部の事情にも出版業界にもじつに精通していたのである。それほど「雪どけ」は人々が希望を託した画期的な出来事だったのだろう。

しかしこの原稿はただちにKGB(国家保安委員会)に通報され、家宅捜索により下書きも資料もすべて没収、タイプライターのインクリボンまで持ち去られた。作者のかわりに原稿が「逮捕」されたのだ。
グロスマンは共産党中央委員会イデオロギー担当書記のスースロフに呼び出され、「200年、出版不可」と宣告される。彼は失意のうちに胃癌に冒され、64年に世を去った。
グロスマンが『人生と運命』の出版を求めてフルシチョフ首相に書いた手紙が残っている。

「わたしの命を捧げた本が監獄にある時に、自分が肉体的に自由であることには意味も真実もありません。わたしはその本を書き、それを否認せず、いまも否認していないのだから、わたしはわたしの本にかわって自由を求めます」

著者の死後16年、『人生と運命』は海外に持ち出されてスイスで出版された。抹殺されたはすの原稿が「復活」したのは、グロスマンが友人二人にタイプ原稿と草稿を別個に(他方の存在を告げずに)託していたからだった。

グロスマンが生涯をかけて守った《自由》が何だったのか、さらに切実に感じられる日がいつか日本に来ないと言えるだろうか。その時、未来の読者には、本書の隅々から力を得てもらいたい。




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