みすず書房

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ユクスキュル『動物の環境と内的世界』

ヤーコプ・フォン・ユクスキュル 前野佳彦訳

「個々の動物は、彼の環境に多少なりとも適応して生きているとされるが(ダーウィニズム)、これは正しくない。そうではなく、すべての生物は、彼の〈環境〉に完全にぴたりと適合しているのである。
見渡すこともできないほどの、無機的な世界の多様性のなかから、おのおのの動物はまさに彼に適合するものを見つけ出す。すなわち動物は彼のさまざまな欲求そのものを、彼固有の体制構築様式に応じて自らのために創造するのである」
(序論より)

ユクスキュルの「環境世界」論は、ひとくちに言ってアンチ・ダーウィニズムである。生物は自然淘汰と進化によって徐々に環境に適応してきたのではない。あらゆる生物は、つねにすでに、環境に適合しているのである。
本書はそうした生物理論の開陳にはとどまらない。いやむしろ、記述の大半は、個々の生物の具体的な生態の描写に費やされる。取り上げられる生物は、アメーバやゾウリムシといった単細胞の原生生物から、クラゲ、ウニ、ヒトデ、カニ、タコといった海棲生物、昆虫(トンボ)などである。〈環境〉と〈内的世界〉の相互作用による、生物の多様な適合機能の見事さに、目を瞠っていただきたい。いくつかの例を挙げておこう。

「アメーバの周辺に浮遊する、すべてわれわれの眼にのみ映じる、糸状繊動組織、繊毛虫類、輪形動物類、グレガリナ類、そして腐食分解物といった多彩な対象は、アメーバ自身の見地からは問題とはならない。かれら自身にとっては弱いか、あるいは強い刺激、それのみが存在するからである。それらには機械的なものも、化学的なものも、あるいは光によって惹起されるものもあるわけだが、それらすべてはその刺激の強度によってたがいに弁別されるのみである。それに加えて食物固有の刺激が存在し、それは外質を粘性に富む、柔らかなものへと変質させる」。
「客船の舷側から青黒くきらめく海原を眺めやる。そこにはもはや鳴りやんだ鐘のようなクラゲがびっしりと群れ合って、まるで魔法の園に咲き誇る無数の花ででもあるかのようにゆっくりと泳いでいく。それを見るわたしたちは、我知らずある種のねたみに似た感情に襲われる。この色彩の饗宴のなかを泳ぎ来たり、泳ぎ去る。自由に、何にも煩わされることなく。とよめく海神のゆらぎのままにゆらめきつつ、輝く日輪の下、きらめきわたる月光とともに漂っていく。これは素晴らしい生き方にちがいない。しかしクラゲはこうした素晴らしさを何ひとつ感じることはない。われわれ人間を取り巻いている世界は、かれらクラゲには無縁である。かれらクラゲの内的生活を満たす唯一の事象は、規則的な興奮の波動、ただそれだけである。それは自らの動きにつれて生み出され、かれらの神経系において同じ律動で生成し、消滅するのである」。
「わたしはワタゾコダコの何百という個体において、それが好んでヤドカリを襲い捕食することを観察した。一方で毒触手を持ったイソギンチャクは、タコの忌避するところである。ヤドカリが、このタコがかつて手痛い目にあったイソギンチャクを殻に付着させていると、タコは最初襲おうとはするものの、その無益に気づいてまもなくあきらめる。しかしその場合、タコはこのヤドカリをあきらめるだけでなく、捕食そのものまでやめてしまうのである。そして好物のカニすらもう触れようともせずに、意気消沈して死んでしまう。この実験結果は、ワタゾコダコの場合、いわゆる「脳の可塑性」が僅かな範囲にとどまることを示している。タコの新しい経験は、新しい習慣を成熟させるのではなく、むしろすでにもっていた「対世界」を解体してしまうからである」。
「マダラヤンマを観察してすぐにわかることは、体制内に二つの反射機構が存在するということである。一つは、網膜上に投影された対象物の輪郭が動くことによって誘発される反射であり、もう一つは、その輪郭の形態によって導出される反射である。これまでの概念連関を延長しつつ、最初のものを「運動反射」と呼び、二番目のものを「図像反射」と呼ぶことにしたい。つまり「運動反射」は飛びかかる行動を、「図像反射」はつかみ取る行動を誘導し、その両方で捕食が成立するわけである」。




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