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『そこに僕らは居合わせた』
語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶
グードルン・パウゼヴァング 高田ゆみ子訳
「ナチス・ドイツ」の言葉からまず連想されるのは「ホロコースト」だろう。ユダヤ人を詰め込んだ移送列車や強制収容所……しかし、それは本書のどこにもはっきりとした姿をあらわさない。ここに描かれているのは、ドイツのどこにでもある町や村、そこに暮らす〈普通の〉人びとが全体主義の狂気にのみこまれていった、あるひとつの「時代」である。
両親や祖父母、おじおば、教師に隣人といった身近な人びとの言葉、行動、社会のありよう……当時の子どもたちが見たさまざまは、やわらかな心に楔のように打ち込まれ、戦後も消えることはなかった。彼らは、思い出したくない「あの時代」のことを言葉にしないまま、大人になった。やがて歳をとり、孫の世代の子どもたちが、ある日こんなふうに彼らに尋ねる。
〈ナチス時代、この村でなにがあったか話してくれる?〉
- 《「……なぜそんなことを聞くんだい?」
- 「学校でそのころのことを習ってるの」
- 「まったく教師ときたら! なにもあの時代でなくてもいいだろうに!」
- 「どうして? 私たちは自分の村の昔について知る権利があるわ」
- 「……ホルナウはこんな田舎だ。だから、ここの人はなにも知らなかったし、なにも見なかった。戦争になったことだけは気づいてたけどね」
- 「ここでもみんなハーケンクロイツの旗を掲げてたんでしょ? そんなホルナウの写真を見たことがあるもの。ユダヤ人迫害についてはみんなどう言ってたの?」》
〈あの時なにをしていたの? なぜなにもいわなかったの? 罪悪感はなかったの?〉
戦後60年という長い時間をへて、やっと重い口を開いて語られた20人の「あの日」。痛みは消えていない。その痛みをおして語る勇気を蓄えるには、それだけの時間が必要だったのかもしれない。その傷みは、作者パウゼヴァングも分かち持っている。
刷り込み教育をうけ、ナチス思想に傾倒した少女時代。敗戦と引き揚げ体験。本書に登場する、ヒトラー死亡のニュースを聞いて泣いた少女、数か月におよぶ引き揚げの途上で「人間素材的価値」によって分けられた支配者と被支配者からなる世界像をすこしずつ修正していった少女は、かつての作者自身の姿だ。そして戦後は「騙された」ことにたいする怒りから、しだいに「騙された」側の罪も問うようになる。長い時間をかけて――
この時代の証言者はまもなくいなくなる。だからこそ、ナチス時代の〈日常〉を、そして、その日常のすみずみまで浸透していた狂気からは大人も子どもも逃れるすべをもたなかったことを、いま伝えておかなければならない。その作者の思いが、どの物語にも満ち満ちている。
物語とはただのつくり話ではない。フィクションだからこそ伝えられる真実がある。内容の重さを伝えるのに十分な簡潔さ・強さを備えると同時に、もっとも読ませる力を備えた短篇というかたちをとって描かれた20の物語=文学的ドキュメンタリー。
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