みすず書房

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ラートカウ『ドイツ反原発運動小史』

原子力産業・核エネルギー・公共性 海老根剛・森田直子訳 [20日刊]

ドイツ屈指の環境史学者、『自然と権力』の著者ヨアヒム・ラートカウによる、ドイツ脱原発40年の歩みの検証。訳者からひとことをお寄せいただきました。

『ドイツ反原発運動小史』について

訳者を代表して 森田直子

福島の原発事故後、いち早く脱原発政策を確定させたドイツのエネルギー政策が脚光を浴びる一方で、「反原発」、「脱原発」を合い言葉とする首相官邸前での抗議運動、いわゆる「金曜デモ」も注目を集めています。こうしたなかで『ドイツ反原発運動小史』と題された書籍が出版されるのは、絶妙のタイミングと言えるかも知れません。時代の風を受けて、本書が多くの人々の目に触れることを願っています。とはいえ、本書の意義は、時事問題の明快な解説や鋭い批評といったジャーナリズムの持ち味とは別のところにあります。では、本書の特徴、そして魅力はどこにあるのでしょうか。

第一に、本書には、ヨアヒム・ラートカウがこれまで行ってきたドイツの原子力史研究の成果が凝縮されています。ラートカウは押しも押されもせぬ環境史の大家(これについては、『自然と権力──環境の世界史』(みすず書房)の「訳者あとがき」やこちらをご覧下さい)ですが、ドイツ人の歴史家としてはおそらく最も早く、1970年代初頭に原子力をテーマとする研究を開始した、この分野のパイオニアです。彼の著作は、ドイツの原子力産業および反原発運動の研究にとって欠くことのできない基本文献とみなされています。そうした彼の多数の業績のなかから、本書では四つのテキスト──ドイツの原子力技術と原子力産業を論じた大部の研究書の結論部、核エネルギー政策とそれを取り巻く言説の歴史を跡づける研究論文、原子力施設への抗議運動の歴史を概観する論考、そして、フクシマ事故後一年に際して新聞に寄稿されたエッセイ──を収録しました。主題やアプローチの仕方、執筆時期や発表媒体(想定される読者層)はそれぞれ異なりますが、原子力をめぐる問題は様々な立場の人々に開かれていなくてはならない、すなわち、原子力問題では「公共性(世論、公衆の関与、公共の議論)」が不可欠であるという命題は、四つの文章に一貫して読み取ることができるでしょう。
本書の標題にもなっている文章、「ドイツ反原発運動小史」(以下、「小史」と略記)は、「ドイツはなぜ脱原発政策を確定できたのか」という問いに対する、歴史家からの分かりやすい応答の一つとみなすことができます。これがこの問いへの唯一の答えではないとしても、40年にわたって原子力の歴史研究に取り組んできた著者の言葉は、資料に裏付けられた重みと、その重みに伴う魅力とを十二分に備えています。

本書の第二の特徴は、2012年の春夏に行われたラートカウへのインタビューにあります。ドイツ語や英語によるインタビューはすでにいくつか存在しますが、本書所収のものは、そうした既存のインタビューの翻訳ではなく、ドイツの読者向けに書かれた「小史」を踏まえて訳者が行った本書のオリジナルです。それゆえの限定性もありますが、日本の反原発運動と原子力をめぐる議論へのヒントが、ラートカウの口から引き出されているのではないかと思います。
さらに、このインタビューでは、歴史家ラートカウがドイツの原子力技術や原子力産業の研究に取り組むことになった経緯、教鞭を執った大学での葛藤などが、具体的なエピソードとともに紹介されています。歴史研究は、歴史家個人が史料に基づいて行う精神活動とも言えますが、その知的営為は歴史家を取り巻く時代環境と切り離すことができません。その意味で、本書のインタビューは、2011年に書かれた「小史」だけではなく、1983年、1993年に発表された所収テキストをより良く理解するための鍵でもあります。と同時に、このインタビューには、歴史研究、とくにドイツ史研究に関心を持つ者はもちろんのこと、やや大げさに言えば、知識人の生き方や人間そのものに関心を抱く者にとっても、興味深い言葉が含まれているように思います。

最後に、「訳者あとがき」で書き残した訳語の問題について付言しておきます。
日本では一般に、「核」という言葉は、核兵器、核保有国、核爆弾(ただし、原爆ともいう)といった語法に見られるように、核分裂や核融合によって生み出されるエネルギーを軍事的に利用する際に用いられることが多く、「原子力」は、核反応エネルギーの平和利用、つまり、産業・民生上の利用に限定して用いられます。他方、ドイツ語のKernは「核」、Atomは「原子力」と和訳されるのが通例です。両者は、日本語同様に本質的には置換可能ですが、含意は日本語とは逆で、核兵器、核保有国、核爆弾などにはAtomの方が多用されます。ラートカウが訳者に語ったところによれば、それらへの連想を避けるために、ドイツでは原子力エネルギーを指し示す用語としてKernenergieが定着したそうです。以上を踏まえたうえで、本書では、原則的にKernenergieを「核エネルギー」、Atomkraftを「原子力」と訳すことにしました。ちなみに、本書の標題でもある「反原発運動」の原語はAntiatomkraftbewegungです。上記の原則からすれば、厳密には「反原子力運動」と訳すべきかも知れません。確かに、「小史」では狭義の原発だけでなく、原子力研究センターや核燃料再処理施設への抗議運動も対象となっているため、「反原子力」という訳語も用いています。しかし、ドイツ語、日本語の双方のニュアンスを考え、標題には「反原発」が良いと判断しました。




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