みすず書房

フランソワ・チェン『さまよう魂がめぐりあうとき』

辻由美訳

2013.05.27

フランソワ・チェン『さまよう魂がめぐりあうとき』をお送りした四方田犬彦氏からメールをいただいた。
「高行健とは、同じフランス組でもまったく違った印象ですね。むしろクンデラのわきに置いて考えてみた方がいい作家かもしれません。それからシオランの。彼らのフランス語への選択と帰依のことと比較してみるとか。」
さすがに、指摘が奥深い。

2000年にノーベル文学賞を受けた高行健(ガオ・シンジェン)はチェンの一回り下のル・クレジオと同世代で、革命後に青年となった。フランス語の翻訳者であったが、文化大革命を体験し、四十代後半で出国、天安門事件を知って亡命した。作品も中国語で書き、それがフランス語に翻訳されて広い読者を得た。

対するミラン・クンデラは、チェンとまさに同い年。チェコからフランスに「出国」したのは1975年で、80年代からはフランス語で小説を書き始めた。「チェコ生まれのフランス作家」と言われるのも、市民権を得ているからだけではなくフランス語で書いているからだろう。クンデラの場合、『小説の精神』(法政大学出版局)をみれば一目瞭然、セルバンテス以来の文学を血肉化した「ヨーロッパ小説」の伝統につらなっている自意識がある。東欧と西欧の差はあれど、フランスの同世代作家たち(たとえばトゥルニエ)と近い時空間を生きてきた人だと言えるだろう。そこが、チェンの経歴との違いである。

フランソワ・チェンが中国からフランスに渡った二十歳のとき、フランス語はまったく出来なかった。「少なくても二十年間、わたしの生活を刻みつけたのは、矛盾と分裂にみちた激しい奮闘だった」(本書収録『ディアローグ(対話)』より)。孤独だったチェンが、おずおずと知識人に交わりだしたのは四十代になってからである。ロラン・バルトは、ある種の書道と音楽に通底する「軽み」についてのチェンの言葉にうなずき、ジャック・ラカンは週に一回、自宅でチェンと二人きり、『老子』『孟子』をめぐる対話を重ねるようになった。

チェンが七十歳にしてフランス語で初めて発表した小説『ティエンイの物語』では、主人公に託して、異郷での暮らしを回想している。「わたしのからだにつきささっていたのは、きわめて根源的なものの欠如という感覚、いわば、存在の正当性がないという感覚だった。……他の人たちから、自分自身から、あらゆるものから切り離された存在。」

それから十五年、八十代のフランソワ・チェンは、こんどは中国古代の史実にもとづいたドラマ形式の小説を書いた。最新作『さまよう魂がめぐりあうとき』におけるチェンの筆運びにもはや迷いはない。荊軻、高漸離、春娘の男女三人が、おこったことのすべてを語りはじめるに際して、こんな感じで本書を書き起こしている。「聞き手のわたしたちにもとめられるのは、彼らに付き添い、彼らがこの壮大な物語の舞台裏をくまなくおもいおこす助けになることだ。さあ、三人に言葉を託そう。」(冒頭の「合唱」より)

チェンにとって「母語(中国語)はいわば弱音化されて、忠実にして密かな話し相手となった。そのささやきは、わたしの無意識をはぐくみ、変換すべき映像、満たすべき郷愁をひっきりなしにあたえてくれるだけに、頼りがいのある話し相手。」(『ディアローグ(対話)』より)。チェン文学の独異な濃密さに、辻由美の名訳で触れていただきたい。