みすず書房

D・A・ナイワート『ストロベリー・デイズ』

日系アメリカ人強制収容の記憶  ラッセル秀子訳

2013.07.11

巻末「訳者あとがき」より

ラッセル秀子

ドイツ系アメリカ人である著者が、なぜ日系人収容というテーマを選んだのか、その背景についてEメールで問い合わせてみた。

ナイワートは子どものころ、本書にも出てくるミニドカ収容所(アイダホ州)の跡地にキジ狩りに連れて行ってもらったことがあるという。また、本書のマツオカのように労働の口を得て収容所から出てそのままその土地に住みついた日系人の子どもたちと親しくしていた。そして彼らから、親が収容された経験を聞き、とても驚いた。アメリカの中学・高校は今でこそ日系人収容について教えているが、当時は学んだことがなかったからだ。

その後ワシントン州に移り、ケントやベルビューで日系人収容所について地域の博物館の展示に触れるにつれ、そのオーラルヒストリーの豊富さに魅せられ、ぜひとも題材にしたいと考えるようになった。

ナイワートによれば、自らの著作に共通しているのは、ヘイトクライム(Hate crime)や極右派など現代社会の問題の根底を探ることである。本書も同様だが、本書にはいわば「救い」となっている要素がある。それは日系人が不屈の精神と勇気と品性を持って困難に立ち向かい、そして乗り越えたという事実だ。日系人たちのその姿にナイワートは深く心を打たれたという。

ナイワートは長年の取材を通してマツオカらと親交を深め、深い尊敬の気持ちと親愛の情を感じるようになり、彼らの物語を伝えたい、そう強く思うようになった。故郷アイダホで育んだ日系人の親友たちとの思い出と合わせて、そのような個人的な思い入れのひときわ強い一作だという。

 訳者の住むカリフォルニア州モントレーにも、ベルビューと同じように戦前から日系人社会があった。主にアワビ漁業などを基盤として広がったコミュニティである(詳しくは『モンテレー半島日本人移民史――日系アメリカ人の歴史と遺産1895‐1995』(溪水社、2009)などを参照されたい)。だが第二次大戦後、ベルビューと同じように強制収容によってコミュニティは崩壊した。時は流れ、その後戻ってきた日系人やその家族のほか、戦後日本からやって来た日本人も含めて、現在はふたたび活力のある日系人コミュニティがつくられている。たとえば近くで花屋を営むある一家は、強制収容と442連隊の経験者だ。ある三世の友人は、おじが442連隊の日系兵士として戦死し、今年、ほかの遺族と共に戦地だったイタリアに追悼の旅に出ている。近辺には東京裁判で通訳をした日系人や、広島で被爆した日系二世など、まさに歴史の生き証人が住んでいる。しかし一方、もっと若い世代の日本人・日系人にとっては、日本とアメリカが戦争をしたことは遠い昔話になりつつある。

本年2013年で、日系アメリカ人強制収容から71年目を迎えた。70年目の2012年は、米国各地で収容経験者の講演会などが開かれた。理不尽な強制収容にも誇りを捨てず耐え忍んだ日系人の話を聞けば聞くほど、日本人として誇りに思うとともに、彼らの歴史を風化させてはならないと痛感する。

「過去は過去だ。だが二度と同じことが起きないようにしなければならない」――本書に出てくるミチ・ニシムラの言葉だ。いかなる差別も戦争も、二度と起こしてはならない。本書が、そのメッセージを伝える一助となることを切に願う。

copyright Hideko Russell 2013
(訳者のご同意を得て抜粋掲載しています)