みすず書房

小泉恭子『メモリースケープ』

「あの頃」を呼び起こす音楽

2013.10.10

「あとがき」より

小泉恭子

物心ついたときに流行っていたのが後ろ向きな曲だった。洋楽ではカーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」(1973)、バーブラ・ストライサンドの「『追憶』のテーマ」(74)、邦楽ではちあきなおみの「喝采」(72)、バンバンの「『いちご白書』をもう一度」と荒井由実の「あの日にかえりたい」(75)、そして杏里の「オリビアを聴きながら」(78)。本書の第二章で紹介したブレバタ(ブレッド&バター)の「あの頃のまま」(79)もリアルタイムで聴いた。ノスタルジアとナルシシズムのはざまを行きつ戻りつしているような曲が巷にあふれていたのが70年代だった。

本書の終章で紹介したレミニセンス・バンプ(reminiscence bump)の研究では、15歳以下の子どもはまだライフストーリーを語れないという。ちょうどこれらの曲を聴いていた頃、私はまだこの年齢に達していなかった。過ぎし日の青春を振り返るという歌詞のなかの行為が、自己の物語さえ紡げなかった当時の私には、大人の振る舞いとしてかっこよく感じられた。スマイルバッジを平和のシンボルマークとも知らずに身につけていた少女にとって、後ろ向きな曲は背伸びして垣間見る世界だった。

ビートルズが来日した1966年に生まれた私の世代に共通する話題は、「ザ・ベストテン」に出演するような歌手だった。身の丈に合わない生活がもてはやされたバブル期には、みんなで歌って盛り上がれるノリのいい曲が人気を集め、後ろ向きな曲は「ネクラ」とレッテルを貼られ、社会の片隅に追いやられていった。だが、バブルが崩壊して冬の時代のまま21世紀を迎えると、かつては自己を憐れむように歌われていたフォークが、今度は等身大の自分を承認してほしい叫びのように息を吹き返してきた。フォーク酒場に行けば、元・少年たちが夜ごとに集い、ギターを弾き語っていた。

一方、うたごえサロンに昼間行くと、少年少女に戻ったような表情で昔の歌を歌う一団に会った。八月に訪れた際には、幼い日に戦争を体験した世代が平和を願って「原爆を許すまじ」を歌っていた。隣に座っていた70代後半の女性が、「私たちが娘時代にはよく歌ったのよ」と話してくれた。だが、この曲は私の世代に歌い継がれていない。知らない曲だと答えると、その女性は「私たちがこの世からいなくなったら、この曲も歌われなくなるのかしら」と、ぽつり。そのとき気づいた。私が知った気になっていた昔の歌は、学校の教科書やメディアが恣意的に選別した結果、生き残った曲――スタンダード――ばかりだったのだと。歌い継がれている曲ばかり追いかけていては、高齢者の記憶の古層に眠っている幾多の曲は、忘却されるばかりか、痕跡も残さずこの世から退場してしまう。音楽の聴覚体験という記憶の地景にアプローチできればとはじめたのが、本書の研究だった。

本書はいわば、個人のメモリースケープ(memoryscape, 記憶の地景)をキルトのように綴った一枚の布であり、フィールドワークにご協力いただいた皆様の記憶が織りなす手触りであり、耳触りである。

copyright Koizumi Kyoko 2013
(著者のご同意を得て抜粋掲載しています)