みすず書房

鵜飼哲『ジャッキー・デリダの墓』

2014.04.28

(『ジャッキー・デリダの墓』巻頭の2編は、2004年10月に亡くなったジャック・デリダの「追悼文」として、新聞雑誌の依頼に応じて書かれた。「〈友〉なるデリダ」と「断片、あるいはデリダの「ように」」というそのタイトルを起点として、『デリダの「ように」』という書名を提案した編集担当者に、著者はいつもながらの礼儀ただしさと微笑をもってためらいと拒絶を表明した。「われわれの年代だと、ブリジット・フォンテーヌ『ラジオのように』……」「ええ、シルヴィ・ヴァルタン『男の子のように』……」軽口を交わしながら、そのとき著者が深く悩んでいたことに思い至ったのは、あとがきにかえて書き下ろされた長めの原稿を読んだときである。)

心中ため息をつきながら、私は時の流れを意識した。デリダについて書くことが、ずっと私にはできなかった。まして、彼についての著作であることを明示するようなタイトルを、自分の本のために選ぶことは。本書に収録された、彼の死去に続く日々に綴った文章のタイトルには、自分でも説明し切れない、絶望的な抵抗の痕跡が認められる。しかし、やがて哲学者の没後十年、そろそろ年貢の納め時なのかもしれない。この名前との新しい関係を模索すべき時なのかもしれない。そんな反問を反芻しつつ、2013年の年の暮れを過ごした。(本書、282-283ページ)

(しかし、ジャック・デリダを含む書名にはならなかった。「墓」を巡って展開される精密な「あとがき」の最後で、著者はようやく「名」に触れる。鵜飼哲のテクストに特有のやさしさと強度をもって。)

ここまで私は、本書のタイトルの、ただひとつの言葉、ただひとつの文字のまわりを巡ってきた。しかし、それがどれほど多くの思考の糸の結節をなしていようと、「墓」というこの重い言葉が検閲の閾を通過できたのは、あの名のおかげであることは疑いない。彼の両親はあの名を、チャップリンの『キッド』の子役、ジャッキー・クーガンにちなんで付けたらしい。それは例外的なことではなく、アルジェのユダヤ人共同体で、当時よくあったことだと言う。「アメリカ風のファーストネームが、時には役者の名前が、アルジェのユダヤ人の若者には見られた。ウィリアム、チャーリー、シドニー、ジェイムズ等々)」と、彼自身振り返っているように。それは支配的なフランス文化への、婉曲な抵抗のかたちだったのだろうか。ある日、そう訊ねてみると、「たぶん」Sans douteという答えが返ってきた。
親族の人々にとってもっとも親密なあの名は、親族以外の友人たちにとってはもっとも遠い名である。後者の人々には、「ジャック」が親しさの限界だ。一度だけ、マルグリット夫人が「ジャッキー!」と呼ぶ声を聞いたことがある。けっして、心のなかでさえ、自分が呼ぶことのありえない名が、不思議なことに、むしろある浮力となって、このタイトルを私のもとに運んできたのだった。
ジャッキー(Jackie)・デリダは、著作を発表するようになった時、みずからジャック(Jacques)というフランス風の名を選んだ。本書のタイトルには、したがって、単に哲学者だったばかりではない、そして単にフランス人だったばかりではない、ある人の「墓」という含意がある。そこには、同時に、私自身の、「哲学」への、いつまでも縮まらない距離も透けて見える。だから、これは、本書を読まれた方には明らかなように、いわゆる「哲学の本」ではない。もちろん、「哲学」と無縁ではないとしても。そんな本書に何らかのメリットがあるとすれば、それはもしかすると、ある日、彼の家で、こんなつぶやきを漏らした人が生きた時間に、はるかな想像をめぐらすよすがとなることかもしれない――。
「フランスがアルジェリアに来ていなければ、今頃私の人生は、ずっとよかったに違いない。」(本書、297-298ページ)

(リス=オランジスに眠るデリダの墓石には、JACKIE DERRIDA (1930-2004)の文字だけが刻まれている。)

フランスの週刊誌『les inrockuptibles』2004年4月6日号