みすず書房

下河辺美知子『グローバリゼーションと惑星的想像力』

恐怖と癒しの修辞学

2015.03.26

「われわれの身体が時間をかけて獲得していく、行為と結果の因果関係は、グローバリゼーション的時間感覚の中で瞬時につかみ取った因果関係と同じであるはずがない。いち早くもたらされる情報は、恣意的に切り取られた後に残る情報を切り捨てたものであり、当然物事の全貌を伝えてはいない。外界からの情報を五感で受理し、記憶と情念によって自分なりの意味に変換し記憶に登録する人間にとって、ゆっくりという速度でしか理解できないことがある」

大学人として、つねに成果を最速で求められ、「速度の遅い人文学」が片隅に追いやられようとしている現状にあって、著者は問う。教育と倫理はいかなる関係にあるべきなのか。人文学の教育と、それ以外の領域の教育ではどこが違うのか。われわれ人文学者は学生たちにどのようなことを教えるべきなのだろうか。

本書はむろんそのことに直接答えようとしたものではない。グローバリゼーションという言葉に象徴される現代世界のあり方が、法的・経済的・政治的に、メディアを通してであれ市場を通してであれ、われわれの生活の隅々にまで入り込んでいる実態を、人文学研究者の武器である言語と想像力を十分に使って、根源的に掬い取ろうという試みである。本書のタイトルはまさにそのことを指している。

globeの語源に遡行し、19世紀モンロー・ドクトリンの厳密なテクスト分析をおこない、過去や現在の思想家の言葉を手がかりに現代世界を理解しようとする姿勢を、著者は自覚的にとろうとする。反省的営為をくり返しながらもそのスタイルを貫くことが、人文学研究者としての著者の倫理観である。「人間の心は、さまざまな感情・感性・情念、そして少しの知性の混合体である。心が憎しみ一色に塗りつぶされてしまったとき、それとはまったく別の部分を稼動させることは望めないのだろうか」。「遠回りかもしれない」と著者は言うが、これが本書に託した著者のメッセージである。

「イスラム国」であれ、原発問題であれ、格差であれ、それに対する解答がすぐにあるはずはなく、解答を迫ろうとする目に見えない圧力や、その流れを無意識に取り込む心の動きそのものが罠であり、問題である。簡単に理解できるものなどないのだから。

本書で数回取り上げられているジャック・デリダのことば。「出来事とはやって来るものだ。やって来るにはやって来るのだが、私を驚かすためにやって来て、そして、私がそれを理解することはさせない。出来事とは、何よりも、私が理解できないことをさすのである」。

理解する/理解していないという二項対立そのものに対する懐疑。基本は、ソクラテスに帰れ、ということであろうか。