みすず書房

確率の「前史」が塗り変わる。フランクリン『「蓋然性」の探求』

『「蓋然性」の探求――古代の推論術から確率論の誕生まで』 南條郁子訳

2018.05.23

確率の概念は17世紀半ばに突然のように出現したといわれる。本当にそうなのだろうか? これまで、「確率(プロバビリティー)」の歴史についての多くの本がそう書いていた。パスカルとフェルマーがある重要な書簡を交わした1654年という特定の年が、確率の歴史の起点であるとされることも多い。それ以前の「プロバビリティー」は確率とは本質的に異なる何か、“突然変異”する前の何かであって、「パスカル以前には記すべき歴史がほとんどない」(ハッキング『確率の出現』p. 1)とさえ書かれてきた。

ジェームズ・フランクリンはそのような見方に対して批判的で、こんなふうに皮肉っている。「確率の歴史とは、不確実性をともなう推論を要する思考領域が、数学的方法によってしだいに植民地化されてきた物語だというふうに考えられているようだ。そのような見方に立てば、1654年以前は確率の先史時代であり、うまく定式化されていないアイデアが森の下生えのようにもつれあっているだけで、そんなものはいったん本当の定量的蓋然性が発見されてしまえば一顧の価値もない、ということになる」(p. 572)。そして彼は「パスカル以前の記すべき歴史」を見せてやるとばかりに、訳書にして712頁にもなる本書『「蓋然性」の探求』を書き上げてしまった。この本によれば、確率の数学は、それ以前のプロバビリティー(本書では「蓋然性」と訳している)の長大かつ広大な歴史曼荼羅の一画から生まれ出た。しかも、確率の数学が誕生したあとも「蓋然性」の歴史が絶えることはないのだ。

確率論の誕生以前、「プロバビリティー=蓋然性、確からしさ」は善悪、公正さ、有益さ、力の優劣など、さまざまな社会的・道徳的価値ともつれ合っていた。その厄介なものを合理的に評価しようと多くの哲学者や法学者が苦心を重ね、優れた推論術やアイデアも生まれていた。「本書は不確実性にとりくむ合理的な方法の歴史を記述している。だからここには、確実性に到達できないあらゆるケースで真実に迫るために考え出された方法が、さまざまな分野(法、科学、商業、哲学、論理学など)にわたって登場する」(p. 1)。

こんな本について簡単には言い表せないし、「すごい本ですよ」としかお伝えしようもないので、ここでは一つだけ、「確率の数学はなぜもっと早く(17世紀中盤よりも前に)現れなかったのか」という大いなる謎に関して、この本を読んで感じたことを記してみたい。この有名な問題については「道徳や宗教が障壁となって、ランダムネスや偶然に関するアイデアの発達を妨げていた」とか、「前提条件として“しるし”や不確実な証拠というアイデアの発達が必要だった。それにはルネサンス期を待たねばならなかった」というような諸説がある。

本書の著者はというと、第一に「数学的な蓋然性理論の発達には、カルダーノ以降の時代における数学全般の質の向上が決定的な役割を果たした……17世紀の科学革命は数学革命と呼ばれてもおかしくない」(p. 526)という見方を掲げ、とりわけ、「数学的蓋然性の建設には、それにかかわった人々がある種の(とくにモデル化における)数学的能力をもっていることが大変助けになった」(p. 527)としている。

本文を引用しきれないのでユニークな部分だけかいつまんで言うと、この「ある種の数学的能力」の中でも「対称性」についての認識が重要だったと著者は特筆している。これは例えば、《水に浮かんでいる物体の重さは、それが押しのけた水の重さに等しい》とか、《(他の条件も全く同じならば)同等のチャンスで3ドルか7ドルのどちらかを得るゲームは、5ドルを得るのと同じ価値がある》といった言明として抽出できるたぐいの「対称性」を認識する能力のことだ。それと関連する「同等」「公平」「平衡」といった関係性についての深い認識、および、現実世界のそれらを数学に結びつける応用力も、著者の言う「ある種の数学的能力」に含まれる。著者はこんな事例を引いている(下の部分は本文p. 528-529より)。

読者はおそらく、フェルマーとパスカルの往復書簡における唯一の確率的概念が、「公平な」補償と「同等な」チャンスであったことを憶えているだろう。ポイント問題でロベルヴァルの間違いについて説明するとき、パスカルは2つの状況がプレーヤーたちにとって「まったく同等〔égal〕で差異はない〔indifférent〕」と言っていた。……「同等で差異がない」というこの同じ言葉が、さまざまな個人的ケースのあいだの対称性を表現するために使われるとき、それは法の言葉である。「ブラクトンは真の判断をするよう求めている。……個々の人々を同等で差異のない存在として受け入れることを」
〔最後の引用句の出典はLambarde, Eirenarcha, 16世紀末に書かれた治安判事のためのマニュアル〕

この議論──法をはじめとする幅広い領域における蓋然性との格闘の歴史が育んだ豊穣な土台の上に、基礎数学の文化全体の成長、とりわけ事物の「対称性」への認識の深まりがあって初めて、確率が出現する「前提条件」が成立したという見方──は、現時点ではまだおぼろげに見えてきた一つの切り口にすぎないかもしれないけれど、とても魅力的だ。封建制の崩壊、貨幣経済や広域の海運・交易の発達、宗教的権威の失墜と宗教改革、ルネサンス……といった歴史状況の中で人々の「公平」「同等」といった観念はどのように変わっていったのか。「公平」「同等」の観念をめぐる15-16世紀の西洋文化史・社会史と、17世紀の数学的確率の起源との間に鮮やかな補助線を引いてくれるような壮大な研究も、この手がかりから出てくるかもしれない。そんなふうに、本書の制作に関わった一人としては夢想したくなる。フランクリンが提示する史実のパノラマからフランクリンとは違う解釈を導く読者もおられるだろうし、そこから新しい切り口が出てくる期待も膨らむ。本書は材料と刺激の宝庫だと思う。

今でも確率の数学を習得するのは難しい。中学や高校でも、「確率」はつまずく生徒の多い単元だと聞く。確率論が体系化されたテクニックとして教えられている今では見えにくくなっているけれど、「ある種の数学的能力」を身に着けることの本質的な難しさは依然としてあるのだろう。フランクリンの本は、確率を使う際に私たちが捨象しているものや、数学的操作の裏にたくしこまれているものの膨大さを浮かび上がらせる。パスカルやホイヘンスなら、今日「確率論的」とみなされているような議論をするとき、何と何が同等で、何と何が非対称かについて、あらゆる角度から検討していただろう。それらを数学に落とし込むときに何を捨象しているかについても、きわめて意識的だっただろう。

翻って、私たちの時代はどうだろう。確率論の前提について、ずいぶん無頓着になってはいないだろうか。テクニックとしての確率論の使用が日常の中に浸透して、むしろ確率論に当てはめるために、非対称・不等なものを対称・同等の枠に無理やり押し込むことにも、たいした痛痒を感じなくなっているのではないだろうか。ある薬を飲んで気分がよくなった人30例と、死亡した人1例の重さを両天秤にかけることなど、パスカルはよしとしただろうか? 確率論がますます強力な道具になっているからこそ、確率論以前の人々の問題意識を振り返って考える機会はますます貴重であるように思う。