みすず書房

脱北者とオリンピックをめぐる小説は、朝鮮半島の現実直視、本音全開。そして哀しい。

チョン・スチャン『羞恥』 斎藤真理子訳

2018.08.07

「何も保証されていない時間の中を歩いていくことなんだな、生きるというのは。」

頁に指がはりつく。読み出したら止まらない小説である。
舞台は韓国の東南アジアからの移民が集まって暮らす町からはじまる。
主人公ウォンギルは脱北者。北朝鮮から韓国へと逃げてきた人々だ。
異邦人の町でも、脱北者はとりわけ異邦人だった。
彼は夏に入って家具工場を解雇された。

「あの世に行かせたくないから辞めてもらうんだよ。まともに睡眠がとれるようになったらまた来いよ」
あえて不眠を理由にしなくても、首を切る理由は充分にあったろう。私は仕事熱心ではなかったし、熟練しようと努力したわけでもなかった。それでも解雇の理由として不眠を強調したのは、いつも私を気の毒に思ってくれていた社長だけに、解雇を告げるのがつらかったからだろう。

同じ脱北者である友人のヨンナムは、自給自足の生活を求めて、江原道に移住した。冬季オリンピックを誘致したその地で、選手村建設予定地から朝鮮戦争当時の民間人の遺骨が大量に出土した。ニュースに国じゅうが騒然となった。
その直後、ウォンギルが中学生の娘とその唯一の友達を連れてヨンナムに会いにいき、事件が起きる。
遺骨の無念に激しく感応する脱北者ヨンナム。
オリンピックに沸く町の顔役が主人公に説教をする。

「なあ、君はオリンピックが何のためにあるか知っているかね」
私は答えなかった。
「主催する側にとってみりゃ、オリンピックは簡単にいって商売だ、商売! それ以上でも以下でもない。オリンピックを誘致するのに金がいくらかかっていると思う。君なんぞ想像もつかない膨大な額だぞ。そんな金をつぎこんでおいて、商売でなきゃ何だ? 使っただけ儲けなくてどうする。慈善事業でもやっていると思うかい? それに、そもそも儲からないなら何であんなに必死になって誘致すると思う。他の国だって同じだ。世界平和のために頑張ろうってか? 全部、金のためだ! 経済効果という言葉の意味も知らんのか? 資本主義が何なのか、まだわかっていないのかね?」

なぜ作品名が『羞恥』なのか。その後に明かされるのは、信じられないような物語だ。

生身の脱北者が目前にいるような言葉、痛恨。
北朝鮮出身の両親をもつ作家が韓国社会を凝視した作品である。
翻訳した斎藤真理子さんは「歴史がモムブリム몸부림している」印象を持ち続けたという。「モムブリム」とは、身もだえ、もがき、あがき、といった意味だ。
朝鮮半島が大きく変化しようとしている。ニュース報道の背後には、どれほど多くの、死者・生者の無数の「モムブリム」が揺らめいているのだろう。

「この作品の優れた点は、大韓民国において脱北者として生きていくことの意味を存在論的に考え抜き、倫理的に応えようとしているところにある。このような倫理的思考が物語の随所にしみわたり、脱北者を〈受け入れながらも排除する〉我々の社会の物質主義的な価値観が、あたかも汚れた下着のような恥ずかしさとともに露呈される。ナチズムを経験したブレヒトは〈生き残った者の悲しみ〉を吐露したが、チョン・スチャンは脱北者の〈生き残った者の羞恥〉に注目することで、それがまさに〈我々の羞恥〉であることを直視しようとする。我らの時代の倫理的想像力の意味を問う力作である」

(ハン・ギウク評)