みすず書房

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朝永振一郎『スピンはめぐる』

[新版] 江沢 洋・注

『スピンはめぐる』は、物理学そのものの崇高さ、学問の営みが与えてくれる感動を具現する本だと思う。そのエッセンスは物理式と切り離せない箇所にあるので、以下はおそろしく解像度の低い紹介になってしまうけれど。

この本では他ならぬ朝永振一郎が、量子力学を創った天才たちの思考の連鎖を、彼らの個性に寄り添いながら、つぶさにたどっている。
「ランデやゾンマーフェルトを逆立ちさせたようなこういう論理が、実験事実だけを基礎にしてモデルにたよらない、という彼〔パウリ〕の行きかたの特徴なのです。」
「こういうディラックの思考の型を、パウリはしばしばアクロバットのようだと言っていたそうですが、ディラックのこの仕事は、彼のこの特徴をもっともはっきりと見せてくれたものだと言えそうです。……〔中略〕……この仕事はたしかに天才的なものですが、ぼくが思うに、ディラックのこの天才的な考えも、その前に出たパウリの仕事に触発された点が多いのではないか。」
そんな記述の多くは、物理式の立てかた、物理量の定義のしかたなど数学で表された理論を“読んで”解釈している。原論文の作者たちと同じ次元で量子力学をものにしたからこそできる解説だ。

まだ量子力学の教科書もない時代にそれらの論文と格闘した時期を、著者はこう振り返っている。「そういうわけで、たくさんな論文の大海のなかで、ぼくは一人でアップアップしていたのです。……〔中略〕……こうして、何度か、もう量子力学をやめようと思いながら、しかしどうやら一年半ほどたってみると、ほぼハイゼンベルクやディラックの講演なども理解できる程度には追いついたことに気づきました。しかし追いついたときに、敵はまた前進している。」
そのころに著者の体に染みこんだものが、著者自身がノーベル賞級の仕事を積み上げるうえでの地力になった。と同時にそれは著者のなかでひそかに、じっくりと、透明・明快な一つのストーリーに結晶していたのだろう。だから三十余年ののちに雑誌『自然』での連載が始まると、語りは著者を駆り立てるようにして溢れ出したのだ。「はじめはもっと短く手軽にまとめるつもりで出発したのです。しかし書いているうちにだんだん長くなり、また中身もひどく立ち入ったものになってしまった。それは、いろいろ古い論文を引っぱり出して読んでいるうちに、昔それらを読んだころのことがしきりに思い出され、そのころぼくが感じたこと、考えたこと、気づいたこと、またむつかしくて困ったことなどを、もう一度再現してみたい気持が起ってきたからなのです。そして、あとからあとから筆が動いてしまった。」

『スピンはめぐる』はそんなふうに、書くべくして書かれ、それでいて天啓のようにもたらされた名著だ。




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