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『ドラゴンは踊れない』
アール・ラヴレイス 中村和恵訳
2008年北京オリンピックの開会式。カリブ海に浮かぶ島国トリニダード・トバゴの選手団がスタジアムに入場すると、テレビからこんな紹介が聞こえてきた。
「この国はスティール・パンという楽器を生んだ……」
「カリブ海発祥の音楽文化」「国民的楽器」――そんな立派なレッテルは、この物語の舞台になった時代の、もっとずっとあとになって貼られたもの。町にごろごろしていた石油のドラム缶を使って音を出してみた。もっといい音が、いろんな音が出せたら、と、工夫してみた。改良された楽器は、さらに複雑で美しい音色をつれてくる。音域の異なるスティール・パンが数種あつまれば、カリプソから西洋古典までどんな音楽も奏でることができる。
遠い昔にアフリカから連れてこられた黒人奴隷、この島にもともと住んでいた先住民に加えて、植民地支配者としてこの島に渡ったフランス人、イギリス人、さらに年季契約労働者として移民してきたインド人、そのほか多くの異なる人種・民族が混血と文化的混淆を繰りかえし、トリニダード・トバゴという国をつくりあげてきた。
トリニダードのカーニヴァルは、カーニヴァル中のカーニヴァルとして、じつはリオをも凌ぐ。人びとがおもいおもいの仮装を纏い、街中をパレードするマスカレードでは、1970年代にスピーカーやアンプを使ったサウンド・システムが登場するまでは、このスティール・パンのバンドがマスカレーダーとともに練り歩きながら演奏し、人びとをダンスの熱狂に誘いこんだ。
物語の礎に、カリブ海の、トリニダードの、奴隷制の、植民地支配の、イギリス統治の歴史を、カーニヴァルを筆頭とするアフリカにルーツを発する複雑で豊かなカリブ海の文化をしっかりと据えながら、その礎石は、抵抗と自由、暴力、友情、恋を一枚の布に織りなすかのような作者の天才的な語りの手法によって、そのままの姿では見えないよう隠されている。
バンドのごろつきどもにスラムのプリンセス、往年の〈カーニヴァルの女王〉、その女王に報われそうにない想いを捧げつづけるカリプソニアン、よそもののインド人… 登場人物はみなアウトサイダーだ。とはいえ、人は誰もがアウトサイダーだと言うこともできるかもしれない。彼らの、仲間として受け入れられ認められたい、もっと広いところへ出ていきたい、本当の自分自身になりたい、そして、ひとりの人間として誇りをもって生きたいと願う気持ち… どこの社会にも共通するこの気持ちは、若者だけのものではないかもしれない。
欧米の文壇に高い評価を得て座をしめながら、トリニダード・トバゴを離れることなく、あくまで「カリブ海の作家」としてかの地で文筆活動をつづけるアール・ラヴレイス。その代表作にして、カリブ海文学の古典的作品、伝説の音楽小説、初の邦訳。
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