みすず書房

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デュフレーヌ『〈死の欲動〉と現代思想』

遠藤不比人訳

精神分析は死んだのか?
1996年秋にアメリカ議会図書館が開催する予定だった展覧会「ジークムント・フロイト:抗争と文化」が、反フロイト派の抗議によって延期されるという出来事があった。このとき、あくまで展覧会の歴史的・資料的価値を擁護して、この抗議に逆抗議する請願書に署名した47名のうちの一人が、本書の著者トッド・デュフレーヌである。
もう一例。今年(2010年)前半期、フランス出版界のベストセラーは、『〈反〉哲学教科書』などで日本でもおなじみの哲学者ミシェル・オンフレの『偶像の黄昏』だそうだ(「朝日新聞GLOBE」7月19日)。フロイトおよび精神分析を痛烈に批判する書である。

フロイトは死んだのか? 精神分析は過去の遺物か? 治療法に効果はあるのか? 応用科学かそれともフィクションか? 擁護派も反対派も譲らず、論争はいよいよ激しさを増す。親フロイト派は論争を逆手にとってこう主張する、「これほどの論争を巻きおこすことじたい、精神分析がまだ生きている証拠である」。

さて、本書の著者デュフレーヌは擁護派か反対派か。先の請願書に署名したのだから擁護派ではないのか。いやそう単純でもない。デュフレーヌの批評的スタンスは、「精神史の観点から、フロイトのテクストの種々さまざまな部分に寄り添いながら彼の思考を追い、『快感原則の彼岸』を他の彼の著作や同時代の社会的、歴史的、知的コンテクストを背景にして読む」というもの。それによって「私の批評は、厳密に哲学的な意味でフロイトのテクストを新たに解釈するために必要な場所を切り拓く最初の一歩となる」。
フロイトは『快感原則の彼岸』で、「有機体のすべての欲動が保守的なものであり(…)初期状態への回帰をめざしている」、すなわち「あらゆる生命体の目標は死である」と書いた。〈死の欲動〉とははたして何なのか。仮説なのか。生の原理なのか。ジル・ドゥルーズは『快感原則の彼岸』を「傑作」と称讃し、「もっとも直接的に――またなんと洞察に富んだやり方だろうか――哲学固有の省察を行なっている」と言った(『マゾッホとサド』)。してみると〈死の欲動〉とは超越論的カテゴリーなのか。

本書はフロイトおよび精神分析の〈彼岸〉をめぐる思想史的ドラマである。




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