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野田正彰『虜囚の記憶』
補償の前に深く知らねばならないこと
近年、日中戦争にまつわる多くの戦後補償裁判が起こされてきた。本来ならば、多様な市民運動の広がりがあり、その運動の一つとして裁判もあるものなのに、勝訴敗訴に振りまわされる形で、裁判に市民運動が集約されてきたのではないだろうか。
ドイツの強制労働補償基金「記憶・責任・未来」をモデルに、何とかお金を渡したいと考える人もいる。だがドイツの戦争反省は社会全体で行われてきており、とりわけ教育において徹底している。いかに迂遠に思えても、知ること、伝えること、教育することの大きな変化の中でしか、戦争へのまっとうな反省は進まない。数十年遅れてドイツを真似しても、真似しきれるものではない。また謝罪と反省のないお金は、被害者の尊厳を貶めるものであり、私たちの社会を改善しはしない。
戦争被害者の老人は、今なお苦しみ続けていることを忘れてはならない。彼ら彼女ら一人ひとりの声に耳を傾け、尊厳を理解できて初めて、戦争、暴力、収奪の歴史は希望を見出していく道に通じる。その人を理解し、思いをこめて手を握ることから、遅ればせの戦後補償は始まる。
(以上、『虜囚の記憶』本文より抜粋編集)
日中戦争時(1937-45年)、強制連行された中国人男性、性的暴力を受けた女性たち――虜囚にされた戦争被害者は、その後の人生を深刻な抑圧と障害を背負って生きて来ています。著者は老いた被害者を中国と台湾に訪ね、体験を丹念に聞き取って来て、ここに記録としてまとめました。戦争犯罪について歴史の証人の言葉を伝え、戦争の罪責を訴えかける、貴重なドキュメントです。
この書物は、元日本兵の体験の聞き取りと分析を行った『戦争と罪責』(岩波書店http://www.iwanami.co.jp/1998)と対をなすものです。今回は被害者となった中国民衆の体験を語り伝えます。
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