みすず書房

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エヴァ・ホフマン『記憶を和解のために』

第二世代に託されたホロコーストの遺産 早川敦子訳

「21世紀の入口で、私たちはホロコーストとヒロシマの両方を、或る距離をもってみています。それでも、つい最近の大惨事が過去の記憶を想起させたように、二つの出来事はいまだに生き続けている過去なのです。このような次元にある悲劇は、起点からずっと長い轍(わだち)を遺し、それは喪失と悼みの轍となって、しばしば見えないインクの跡のように滲んだり曲がりくねったりしながら、人間の精神から精神へ、親から子へ、時と世代を超えて繋がっています。……第二次世界大戦後に、日本でどのように記憶が紡がれ、事実が伝えられ、明らかにされてきたのかを、私は知りません。ホロコーストは、最初の否定と沈黙の時代を経て、精力的に――ときに徹底的に――考察されてきました。おそらく、日本においてヒロシマとナガサキがどのように受け止められてきたかということは、今度の災害に対する反応を見て印象づけられたのと同様に、寡黙な精神主義によって特徴づけられるのかもしれません。にもかかわらず、私には、ヒロシマ後の、そしてホロコースト後の世代は、お互いに多くの語り合うべきことを――そして互いから学ぶべきことを――もっているように思えます」

このように、著者エヴァ・ホフマンは、地震と津波と原子力発電の事故という大災害の渦中にある日本の読者に向けて、文章を書き送った(「日本の読者の皆さんへ」として本書巻頭に収録)。ホロコーストを体験した親のもとに生まれ育ったひとりの個人としてだけではなく、いつの頃からか「第二世代」と呼ばれるようになった「ホロコーストの子どもたち」という集合体の一員として、著者は語っている。その存在と意味がいかに重要であるかは、上の引用からもわかるだろう。人類が生み出した負の遺産を理解し、ひきつぎ、そこから同様の苦しみに共感し、ともに考え、未来への知恵とすること。だからこそ、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマの問題も、距離を置きながらも自分の課題として受け止めることができるのだ。ともかくも、一文一文が練り上げられながらも全体をつねに意識して書かれたこの300ページを読んでいただきたい。

もうひとつ。本書のカバージャケットには、香月泰男の油彩「黄色い太陽」を配した。1945年8月の日本の敗戦後、ソ連の捕虜としてシベリアに長く抑留、収容所生活を送った香月は、後年、みずからが体験した戦争と収容所時代の負の遺産を、主として〈シベリア・シリーズ〉の絵に託し、人類の悲惨と希望を表現していった。訳者の早川敦子は「異なるものが出会って響き合うことが翻訳の意味だとしたら、カバージャケットの香月泰男の「黄色い太陽」もまた、比喩的な意味でひとつの翻訳だといえる」と書いている。その意図もわかって、著者エヴァ・ホフマンさんは日本語版の装丁をとても喜んでおられます。




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