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2016.07.15トピックス

「メダワーの妥協なき人道的合理主義が必要だ、いまこそ」(グールド)

P・B・メダワー『若き科学者へ』鎮目恭夫訳 結城浩解説[新版]  [20日刊]

頭の切れる人の文章には贅肉がないということに、まず例外はないのではないだろうか。ピーター・メダワーもそんな書き手で、彼のエッセイから削ぎ落とされずに済むのは、最も重要な事柄だけなのである。著書『若き科学者へ』は探究的な仕事に携わる若者に贈るべき金言の宝庫として知られるが、そこで語られているアドバイスも、研究人生を何ヶ月、何年と(いや、恐ろしいことに何十年かも?)浪費する破目になるのを防いでくれるものばかりだ。単純な言葉に見えても、あなどるなかれ。新版が刊行の運びとなったこの機会に、本書にある有名な警句をいくつか紹介したい。〔以下、強調はすべて原文。ページは新版〕

ある仮説を真であると信じる気持ちの強さは、それが真であるか否かには何の関係もない。(p. 66)

「なんじゃこりゃ?」と思う人もいるだろうし、これを見た瞬間にリアルに痛みすら感じる人もいるだろう(後者はすでに痛い目に合ったことがあるにちがいない。この一文を書いている人間もその一人です)。思うに、科学研究の場に生じる、あらゆる不正・捏造、そしてパワハラの多くも、当事者がこの言葉に立ち返れなかったことと深く関係している。深刻な捏造事件の例では、「仮説を真であると信じる気持ち」が当人の認知世界を乗っ取ってしまっているように見える場合もある。不正などに一切関わりをもたないまっとうな研究者にとっても、見当違いの仮説に膨大な時間とエネルギーを捧げてしまう前に、思い出したい警告だろう。では、次はこちら。

確信をもって言えることは、どんな年齢のどんな科学者でも、重要な発見をしたいと思うなら、重要な問題に取り組まねばならないということだ。つまらない問題やばかげた問題に取り組めば、つまらない答えやばかげた答えしかでてこない。問題が「興味深い」というだけでは十分でない。(p. 25-26)

これもまた、「車に轢かれたくなければ左右を確認しろ」というのと同じぐらい当たり前のことを言っているように見えるけれども、じつは研究人生を数年~数十年単位で奪いかねない危険への警告だ。現代科学においては、重要な問題と「興味深い」だけの問題の見極めは、必ずしも簡単ではないと思う。

ほんの一例として考えてみると、たとえば「モデル研究」というものがある。自然界にある重要な系Aが、複雑すぎてそのまま調べるのは難しいので、Aの模型みたいなものを作ってそれを研究対象とするアプローチである。合理的なように思えるけれど、落とし穴もある。モデル自体は自然界に存在せず、存在する必要もないかもしれない、人為的極まりない代物だったりする。モデルが系Aに似ているかどうかすら定かでない場合もある。自然界の系Aは、そのすべてを知り尽くすことができたら歴史が変わるぐらい重要な系かもしれないが、Aの「モデル」について裏表知り尽くしても、まあ歴史は変わらない。そこから別の「重要な問題」を自分なりに引き出す人もいるが、系Aこそが真の問題だという人にとっては、隔靴掻痒のモデル研究よりも上手い問いの立て方があるかもしれない。そこには研究者当人の資質や志向も関係してくる。自分にとってはどうなのか、メダワーが示唆するように、研究を始める前に自分でとっくり考えてみるに越したことはない。でもモデル研究を始める前にどれだけの人が、そのことを考え抜いているだろう?

最後に、もう一か所、これは少し長く引用するが、その価値はあるのでお付き合いいただきたい。このページでメダワーは、もし科学者が、雇用主(たとえば、国家。たとえば、大学。たとえば、研究リーダー)から「道義的に疑わしい研究」を要求されたら、契約的義務と道徳的義務の間のジレンマにどう向き合うべきかについて書いている。これ以上簡潔に、これ以上明快に、このことについて書いた文章を見たことがない。これから研究分野に進むすべての人に配って回りたいぐらいだ。

科学者はふつうは雇用主に対して契約的義務を負うが、真理に対してはつねに特殊な無条件の絶対的な義務をもつ。
(中略)
一方には契約的義務があり、他方には正しいことをしたいという願望があるため、多くの科学者はまことに厄介な問題に取り組まねばならないことがある。取り組むべき時期は、道徳的ジレンマが生ずるより前である。もし科学者が、ある研究計画が人類に対して重大な危険や急速な破滅をもたらすおそれのある発見を促進せざるをえないと信ずべき理由をもっているなら、その研究に参加してはならない──そのような路線に賛成するのでないかぎりは。科学者はそのような野望を自分が憎むことを、問題の当初に気づくことはほとんどできない。もし道義的に疑わしい研究に参加するなら、あとでそれを人前で嘆くのは空しい。(p. 62)

いまの政府になってから、軍事技術への応用につながりうる研究を防衛省が公募して研究費を支給する「安全保障技術研究推進制度」なるものが始動している。日本学術会議も今年、軍事研究を否定する原則を“見直す”方針らしい。「科学自体には善も悪もない。使い方次第で善にも悪にもなるだけだ」という紋切型の言い訳を気安く持ち出す学者にこそ、メダワーのこのページを読んでもらいたい。

故スティーヴン・J・グールドが「われわれにはメダワーの妥協なき人道的合理主義が必要だ、いまこそ、いつにもまして」と訴えたように、40年近く前にこのような本を書いていたことに感嘆するほど、メダワーの認識はさまざまな面で今日的だと思う。




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