みすず書房

その「らしさ」はどこから? 人気人類学者がユーモアあふれる筆致で

ケイト・フォックス『イングリッシュネス――英国人のふるまいのルール』北條文緒・香川由紀子訳

2017.12.11

スレンダーな体に金髪、大きな瞳。チャーミングな笑顔。一見、モデルかファッション関係者かと思ってしまうケイト・フォックスは、競馬場やパブをめぐるユニークな著作で知られ、講演やテレビ番組にもひっぱりだこの人気人類学者。華やかなイメージがついてまわる彼女は、オックスフォードを拠点とする社会問題調査センターの共同ディレクターの肩書きをもつ。
刊行後たちまちベストセラーとなり、アメリカでも版をかさねている本書も、「人類学」というラベルがもつ学術的なイメージを裏切るユーモアあふれる筆致でありながら、人類学の正統な研究方法である参与観察の結果に基づいた統計を基盤にしたものだ。

人類学者は、ふつうは自分自身が属している集団、つまり、その生活や習慣、文化があまりに自明のもので、それらを客観的に「観察」することが困難である集団を研究対象にはしない。しかし、イングランドに生まれたイングランド人――ただし、著名な人類学者の父について学齢期をアメリカ、フランス、アイルランドですごした――であるフォックスが「研究対象」に選んだのは「自分の国の人びと」――イングランド人(イングリッシュ)だった。

私たちが、イギリス、イギリス人と呼びならわしている国や人びと。イングランドも、スコットランドも、ウェールズも北アイルランドもいっしょくたに、なんとなく「イギリス」と呼び、さまざまなイメージにいろどられた「イギリス人」像があるようで、ないようで……そんなイメージのひとつひとつが、この本を読むと音をたてて崩れたり、反対に、くっきりした輪郭をもって明確に見えてきたりする。随所に著者が仕込んだ笑いとともに。

日本人とドイツ人は似ている。どちらも勤勉、などとまことしやかに語られてきた。その真偽はともかく、日本人とイギリス人が似ている、というのはあまり聞かないのではないだろうか。外国人には時に奇異に、時に冷たく肩すかしにも感じられる、彼ら――イギリス人。が、この本を読んでゆくうちに、なんと不思議なところで、彼らと私たちは似ていることか、と驚かされる。

イギリス人にとって行列は国民的娯楽であり、バス停、会計レジ、アイスクリーム屋のワゴン、出入口、エレベーター、あらゆるところで彼等は整然と列を作る(……)
ジョージ・ミケシュによれば「イギリス人は、ひとりでも整然と行列する」。最初に読んだとき、滑稽な誇張だと思ったが、それ以降、注意深く人を観察すると、それが事実であるばかりか、自分もそうしていることに気づいた。バスやタクシーを待つとき、わたしは、外国人がやるように停留所の近辺をうろついたりせず、表示の下で列の先頭にいるかのようにバスの来る方向を向いて立つ。イギリス人ならたいていそうするだろう。
(本文より)

マンションの住人や会社の同僚とエレベーターに乗り合わせたら、「いや、今日は冷えますね」「まだ降ってます?」など、とりあえず天気の話になるだろう。イギリス人もそうだ。が、そんな話を年がら年中くりかえしているイギリス人に他国の人びとは驚き、首をひねる。
西洋人はキスやハグ、握手が日常的、知らない者どうしでも、電車やレストランで隣りあったときに目が合えばちょっと微笑み、短いひとことくらいかわしたりもする…… そんなイメージがあるなら、その「西洋人」からイギリス人は除外しなければならない。

もちろん似ていないこと、まったく異なる文化や国民性も山ほどある。そもそも厳密な階級制度の上に成り立つこの国では、言葉や行動のすべてが階級によって区分される、という面がたしかにあるのだから。

イギリス人は行列を作る。では、その列に割り込んで平然とした顔でいたら、並んでいた人びとからはどんな反応が返ってくるか? 混雑した駅で、(偶然とみせかけながら)わざと向こうからくる人にぶつかっていったら、イギリス人はどう出る? そんな文字通り体当たりのフィールドワークもこなしながら、「イギリスらしさ」「イギリス人らしさ」の決め手をかろやかに摑んでゆく。