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2018.08.20トピックス

「心の赴くままに、心理療法家ユングとの対話を楽しんでください」(訳者あとがき)

C・G・ユング『心理療法の実践』 横山博監訳 大塚紳一郎訳

臨床家にとって特に重要な『ユング著作集 第16巻』は、本書の出版によってすべての収録論文の邦訳が完了しました。
「心の赴くままに、心理療法家ユングとの対話を楽しんでください」(訳者)

訳者あとがき

大塚紳一郎

本書のタイトル『心理療法の実践』は、ユング著作集第16巻の表題からそのまま拝借してきたものです。その名が示すとおり、私たち臨床家にとって特に重要なこの著作集第16巻は、本書の出版によって収録されたすべての論文の邦訳が完了したことになります。訳者としてその責を果たせたことに、まずは安堵しています。
せっかくですので、著作集の第16巻に収録されている全論文と、邦訳が収録されている書名のリストをここに付しておきましょう。

第1部 心理療法の全般的問題
1 「臨床的心理療法の基本」『心理療法論』林道義訳、みすず書房
2 「心理療法とは何か」本書
3 「現代の心理療法の諸側面」本書
4 「心理療法の目標」『心理療法論』林道義訳、みすず書房
5 「現代の心理療法の問題」本書
6 「心理療法と世界観」『心理療法論』林道義訳、みすず書房
7 「医学と心理療法」本書
8 「現代における心理療法」本書
9 「心理療法の根本問題」本書
第2部 心理療法の特殊な問題
10 「除反応の治療的価値」本書
11 「夢分析の臨床使用の可能性」『ユング 夢分析論』横山博監訳、大塚紳一郎訳、みすず書房
12 「転移の心理学」『転移の心理学』林道義・磯上恵子訳、みすず書房
付録(英語版のみ)
13 「心理療法実践の現実」本書

今回は以上に加える形で、著作集8巻に収録されている「超越機能」も収録することにしました。ユングの心理療法を理解する上で絶対に欠くことのできない、最重要文献のひとつだと考えたからです。
なお、この「超越機能」、および「現代の心理療法の問題」の2本には以下の先行訳が存在します。今回、新たに訳出するにあたっていずれも参照し、多くのことを勉強させていただきました。先人の大切なお仕事に、訳者としてここに心からの御礼と敬意を表する次第です。

  • 「近代精神治療学の諸問題」『現代人のたましい ユング著作集2』高橋義孝・江野専次郎訳、日本教文社
  • 「超越機能」『創造する無意識』松代洋一訳、朝日出版社

本書に収めた各論文についての詳しい説明は必要ないと思います。各論文は著作集の掲載順に準じる形で収録してありますが、必ずしも前から順番に読む必要もありません。心の赴くままに、心理療法家ユングとの対話を楽しんでください。

ただし「心理療法実践の現実」という論文の訳出の経緯については、少々触れておきたい点があります。
これは英語版ユング著作集第16巻に「付録」として収録されている論文、The Realities of Practical Psychotherapyを翻訳したものです。この論文はもともとドイツ語で行われた講演の原稿を英訳したものなので、本書に収めたのはそこからさらに重訳したものということになります。重訳はできるだけ避けるのが翻訳者に求められる最低限の良心というものですが、今回そうせざるをえなかったことには理由があります。この論文が、ドイツ語版著作集には収録されていないのです。つまり、ユングによるこの論文のオリジナル・テクストはそもそも公開されておらず、それを英訳したもののみが刊行されているのが現状ということになります。じつに困った話なのですが。

たとえ重訳であっても「ないよりはまし」とは言えるかもしれません。ただし重訳である以上、それは正確な翻訳とは言えないと私は思います(スイス人とイギリス人と日本人がそれぞれの母語を使って伝言ゲームをしているところを想像してみてください)。そこで私たちは英訳からの訳出が完了した後で、ユングの遺稿を管理しているスイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH)のアーカイヴに、ユングのドイツ語のオリジナル・テクストを参照する許可を求めました。ちなみにETHはかつてユングが教鞭をとったことのある大学で、その縁でユングの遺稿を管理しているのだそうです。幸いにも申請は許可され、ユング本人によるタイプ原稿と手書き草稿(!)のコピーを入手できました。これを参照することで、全文にわたってオリジナル・テクストとのずれを修正する作業を施したものが、最終的に出来上がった本書の訳文です。残念ながら権利の都合でドイツ語原文から直接訳出することはできなかったのですが、重訳である以上避けることのできない原文とのずれは、この作業によって最小限に留めることができたと思います。

さて、訳者の一人、大塚はユング派分析家の候補生として、現在ユングの母国スイスのチューリッヒに滞在しています。この旅にあたって、多くの仲間や友人から「なぜ……ユングなの?」と聞かれました。この……の部分に「いまどき」という心の声がわりとはっきり聞こえた気がするのですが、果たして気のせいでしょうか。

確かにユングの心理学を取り巻く環境は、ある意味ではひと昔よりもさらに厳しいものになっています。私が言っているのは、いわゆる「エビデンス」のことではありません。「解題」でも触れたとおり、心理療法の治療効果の実証的研究はユングの心理学や精神分析の領域でも近年では積極的に行われるようになってきました。認知行動療法など、長年この手の研究に熱心に取り組んできた領域に比べればまだまだ成果の蓄積は不十分ですが、その幸先はかなりよいものであるように思えます。

私がときどき考え込んでしまうのはそうしたことではなく、「個」というものの価値を徹底的に尊重するユングの心理学がこれほど複雑化した社会の中でも生き残っていけるのかという問いのことなのです。

ユングの心理学に社会への眼差しが欠けているということではありません。むしろその逆です。ユングのことを何やら仙人や世捨て人のように思っている方もおられるかもしれませんが、実際の彼は現実社会にも深い関心を注ぎつづけていました。本書に収めた「現代における心理療法」の後半、ユングが国家権力に対して容赦ない批判を浴びせている箇所を読みながら、現代の日本の社会情勢や政治家の顔が思い浮かんで、ついため息をもらしてしまったのはきっと私だけではないはずです。そういう意味では、ユングの心理学はまったく古びてなどおらず、むしろ現代にもそのまま通じるものだと言えるでしょう。もちろん、それはとても残念なことでもあるわけですが。

けれども私たちがいま生きている社会は、ユングの時代よりもさらに複雑なものになっているのではないでしょうか。「個」でいることがこれほどまでに困難な時代はかつてあったでしょうか。権力や政治の力はより複雑な、そしてより狡猾な形で、すべての人の心の中に埋め込まれ、私たちの生き方そのものに直接的な影響を及ぼしているように思えます。そのような世界の中でも、「個」とその変容を強調するユングの心理学の言葉に耳を傾けてもらうことは、果たして可能なのでしょうか。

チューリッヒで現地の分析家たちと話していて、ひとつ気がついたことがあります。それは彼らが「個性」「個性化」という言葉をとても頻繁に口にするということです。本当のことを言うと、当初私は「それってちょっと素朴すぎやしませんか?」と思っていました。けれども、深い確信をもって「個」について語る彼らとの対話を通じて、私はいま少しずつ考えを改めつつあります。「個」であることが難しい世界だからこそ、その中で「個」の意味を語ることが大切なのではないか、と。

私たちが自分自身の気持ちや意見だと思っているものは、実際には世の中の価値観、それどころか場合によっては政府や巨大資本によって代表される権力の意向そのものなのかもしれません。そしてそれを取り入れることによって──不気味なほど「空気を読む」ことに長けた存在になって──私たちは自分でも気がつかないままに、政治的、あるいは社会的な権力に奉仕しているのかもしれません。心理療法でさえも「個」ではなく、学校や病院、さらには社会や国家といった「集団」「全体」の役に立つことを求められる機会が多くなってきました。しかし、そのような世界だからこそ、「個」であることの大切さ、そしてその難しさを語りつづけてきたユングの心理学には特別な役割がある。そうは言えないでしょうか。

もちろん「個」を語ることそのものが、ユングが生きた時代よりもさらに困難になっているという現実を、私たちは軽視するべきではありません。ある意味ではユング本人に課せられたものよりもさらに大きな困難を、私たちは引き受けていかなければならないのです。

それでも、最晩年のユングによる次の言葉はいまもなお真実のひとかけらを含むものであるように、私には思えます。それと同時に、私たちに対する厳しい叱咤を。
「いかなる変化も必ずどこかで始まらなければならない。したがってそれを引き受け、やり抜くことになるのも、一人の個人なのである。変化は一人の個人と共に始まらなければならない。それは私たちの中の誰かのことかもしれないのだ」(「象徴と夢解釈」『ユング 夢分析論』248頁)

copyright Otsuka Shinichiro 2018
(筆者のご許諾を得てウェブ転載しています。
なお、一部割愛、行のあきを追加しています)




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