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2019.09.10トピックス

訳者あとがきウェブ公開 ハロルド・ギャティ『自然は導く』

『自然は導く――人と世界の関係を変えるナチュラル・ナビゲーション』岩崎晋也訳

(訳者あとがきのほぼ全文を以下でお読みになれます)

ナビゲーターたちのプリンス──訳者あとがきにかえて

1903年、ライト兄弟は人類史上はじめて空を飛んだ。それ以来、飛行機はより速く、高く、遠くまで安全に飛べるように発展し、やがて第一次世界大戦での使用を経て、1920年代後半から年代には大陸間、あるいは世界一周など、数々の長距離飛行の試みが行われるようになっていた。その結果は人々の大きな注目を集め、飛行士たちは英雄として迎えられた。この時代に、ハロルド・ギャティはナビゲーターとしていくつかの歴史的な飛行を成功させたことで世界に名を轟かせた。多くのパイロットが、船員としての経験をもとにしたその正確なナビゲーションを頼りにした。ところが、生来の控えめな性格も影響したのか、その後のギャティはしだいに華やかな表舞台からは遠ざかっていく。そうしたこともあって、現代の日本では彼の名前はあまり知られていない。そこで、本書の内容についてお知りになりたい方にはギャティ自身による簡潔にして的確なまとめである「はじめに」を読んでいただくとして、ここではおもに、20世紀前半という時代を一流のナビゲーター、冒険家、エンジニア、ナチュラリストとして生きたハロルド・ギャティという人物について紹介したい。

ハロルド・チャールズ・ギャティは1903年1月5日、教師であるジェームズ・ギャティと妻ルーシーのあいだにオーストラリア、タスマニア島のキャンベルタウンに生まれた。13歳のときにタスマニア州の州都、美しい港町ホバートのセント・ヴァージル・カレッジ中学校に進むと、そこで海と蒸気船に魅了された。時間を見つけては船に行き、船員たちの姿を眺め、彼らの話を聞いた。捕鯨船や木材運搬船などさまざまな船が想像をかきたてた。翌年、士官候補生として王立オーストラリア海軍カレッジに入学するものの、3年後には退学してシドニーの海運会社で働きはじめる。航海士の資格がなかったため、3年間、見習い船員として厳しい仕事に従事することになったが、それはかえって幸いなことだったかもしれない。この間に苦手の数学を克服し、天体に関する知識を得たことが後年の礎となった。外国語ははじめから得意だった。夜には甲板で星を眺めて過ごし、まもなく季節ごとの星の位置を覚え、星によって時間を知ることができるようになり、星座にも精通した。なぜこれほどまでに星に魅了されるのか、南の海で晴れた夜に星を眺めたことのない人にはきっと理解できないだろう、とギャティはのちに語っている。見習い期間はまたたく間に過ぎた。

1923年にニュージーランドの世界最大級の海運会社に入社するが、わずか1年あまりで辞めてタスマニアに帰ってしまう。いくつかの職場で船員や漁師として働き、実際の仕事のなかでナビゲーションの技術を磨いたが、しだいに少年のころから抱いていた海洋冒険の夢は打ち砕かれていった。科学の進歩によって、もう探検すべき海は残されていなかったためだ。1925年には、シドニーの造船技術者ジェームズ・マカロックの娘ヴェラと最初の結婚をする。

2年後の1927年、家族を連れてアメリカへ渡り、はじめて一級航海士として200トンの大型スクーナー船グッドウィル号に乗る。またこのころ、飛行機が日進月歩の勢いで進化していたのに対して、航空術や機器の面での発展が遅れているのを目の当たりにした。ほとんどのパイロットは地図を片手に飛行機を運転するだけで、ナビゲーションに関する知識は貧弱だった。そこでギャティは、パイロットにナビゲーションを教える学校を立ちあげた。本書でも言及されるこの学校は、航空計器の製造や修理、航空地図を作成する研究所としての側面も併せもっていた。そうしたなかで、ギャティの関心はしだいに航海術から空のナビゲーションに移っていく。彼が開発に携わった対地速度計や偏流計は、のちにほとんどの飛行機に標準装備されるようになる自動操縦装置の基礎となった。

1929年にはナビゲーターとして、パイロットのロスコー・ターナーとともにロサンゼルスからニューヨークまで飛行し、無着陸で19時間という記録を作った。また1930年9月には、カナダ人飛行士のハロルド・ブロムリーとともに、世界初の太平洋横断無着陸飛行を行うため日本を訪れている。ふたりともパスポートを持っていなかったために身柄を拘束され、また予定していた飛行場が使えないなどのアクシデントに見舞われたが、結局、青森県三沢市の淋代(さびしろ)海岸からアメリカのワシントン州タコマをめざして出発した。しかし1900キロメートルの地点で燃料タンクに問題が発生し、やむを得ず引き返すことになる。霧に包まれ、ラジオもないという状況で、ギャティは推測航法の技術を用いて、またときにはパイロットに代わって自ら操縦桿を握り、出発地点へと無事に帰還した。これは航空ナビゲーションにおける最大の偉業のひとつに数えられている。

その後、隻眼のパイロット、ワイリー・ポストが世界一周飛行のナビゲーターとしてギャティを求めた。1931年6月23日にふたりはウィニー・メイ号でニューヨークのルーズヴェルト飛行場から出発。北大西洋からシベリア、ベーリング海、アラスカをまわって同じ飛行場に月日に帰り着き、8日と15時間51分で世界を一周するという記録を打ちたてると、ニューヨークで盛大な歓迎を受けた。1927年に世界初の大西洋単独無着陸飛行を成し遂げていた友人のチャールズ・リンドバーグはこのとき、記者たちの質問に対し、ギャティは「ナビゲーターたちのプリンス」だと答えている。またこの快挙により、アメリカ合衆国から殊勲飛行十字章を授与された。だがこののち、ギャティは前述のとおりスポットライトを浴びる長距離飛行のナビゲーターとしての活動からは遠ざかっていく。

1931年から1934年にかけて、アメリカ空軍の前身である陸軍航空隊の上級航空ナビゲーション・エンジニアとして勤務。1936年には離婚し、翌年ニューヨークで、(本書にも登場する2番目の妻)フェナと再婚する。 1943年にはアメリカ海軍の極地探検に同行し、同年、著書The Raft Bookでは古代ポリネシア人のスター・ナビゲーションについて解説した。この本はベストセラーになり、アメリカ空軍の前身であるアメリカ陸軍航空軍の救命ボートに標準装備された。戦後はフィジー諸島のカタファンガ島を購入し、ココヤシの農園を経営した。また現在のフィジー・エアウェイズを設立し、1951年に初の商用飛行を行っている。

晩年のギャティはさまざまな実務の合間を縫って、5年以上の歳月をかけて『自然は導く』(原題Nature Is Your Guide: How to Find Your Way on Land and Sea)を執筆した。最後の1年あまりは健康状態が悪化し、書き終えることができるかという不安を抱えながらの作業だったようだ。ようやく最後まで残していた「はじめに」の項を書きあげ、出版社に原稿を送付したのは1957年8月のことだった。同月の30日、午前11時ごろ、彼はフィジーのスバ郊外にあるナウソリ空港で友人との会話中に脳溢血で倒れ、その日の夜遅くに亡くなった。

翌1958年、『自然は導く』はイギリスのWilliam Collins社から発売された。これはさまざまな立場から生涯にわたって自然を観察してきた彼のライフワークと言えるだろう。当時の科学技術を駆使した旅の方法を書くだけの知識も持っていたはずだが、ギャティはあえて自然そのものから観察力のみで読みとることのできる方法をテーマとした。もちろん、テクノロジーや道具を不要のものとみなしたからではない。ただそれによって、この本はさまざまな読者に、時代を超えて届くものになった。

この本でギャティが紹介している方法は、ただ旅先で進むべき道を知るためだけでなく、誰でも、どこにいても自然を観察するために使うことができる。また読者それぞれが、この本の知識を身のまわりの自然に当てはめ、観察力を高めたり、そこに自分なりの観察をつけ加えていくこともできるだろう。若い読者が、自然観察に明け暮れたダーウィンや夜ごと星を眺めたギャティのように自然に親しみ、つぎの世代のナチュラリストとして育っていくきっかけのひとつになるかもしれない。現在ナチュラル・ナビゲーターとして活躍し、著書のいくつかが日本でも紹介されているトリスタン・グーリーもまた、ギャティの影響を受けているという。彼はこの本について、「時を経るにつれて重みを増す、不思議な本の一冊」だと書いている。

訳者としての印象だが、ギャティは沈思黙考型で、できれば人前で注目を浴びるよりも、自分が興味を覚えたものに愛情を注ぎ、それに没頭することを好む人物だったのではないだろうか。まことに勝手ながら、そんなギャティに親しみを感じながら彼の言葉を日本語に置き換えていく作業に取り組んだ。彼の関心の対象は、海や星などの自然であり、船や飛行機でのナビゲーション、そして冒険だった。そうした活動に邁進するなかで、時代のめぐり合わせもあり、ギャティは思いがけずナビゲーターとしての名声を得る。もっとも、ある伝記によれば名声にはまるで無頓着というほど超俗の人物でもなかったらしいのだが。ともかく、その名声があればこそ本書が出版され、後世に残されたという面もあり、また自分が翻訳者として日本での出版に携わることができたことにも、不思議な縁を感じている。この本が長きにわたって多くの読者に読み継がれることを願う。

岩崎晋也
参考文献
  • Bruce Brown, Gatty: Prince of Navigators (Libra, 1997).
  • Wiley Post and Harold Gatty, Around the World in 8 Days (Orion, reprint, 1989).

© Iwasaki Shinya 2019
(筆者の許諾を得てウェブ転載しています。なお、転載にあたり
行のあきを加えるなどわずかな変更を施した箇所があります)




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