みすず書房

トピックス

カウリー『ロスト・ジェネレーション』

「故郷」の代わりに「世代」を手にする

吉田朋正(訳者)

二十世紀アメリカを代表する批評家のひとり、マルカム・カウリーが書き残した本書は、とりわけ「狂騒の1920年代」を活写したクロニクルとして名高い。原題はEXILE'S RETURN: A Literary Odyssey of the 1920s(初版1934年、改訂版1951年)。個人的回顧録とも思想的エッセイとも言い難い、絶妙な語り口が魅力の一冊だ。

物語の主人公は、世紀の変わり目に生を受けたいわゆる「ロスト・ジェネレーション」の若者たちである。ヘミングウェイやフィッツジェラルドなど、日本でもお馴染みの作家たちによって代表されるこの世代は、二十歳前後で「第一次世界大戦」という未曾有の出来事を経験し、戦後の驚異的繁栄から1929年の大恐慌にいたる激動の時代をパリやニューヨークで故郷喪失者=デラシネとして過ごした。彼らはそこで何を見、何を考え、いかに行動したのだろう?――みずから渦中にあったカウリーは生き生きした筆致でその様子を伝えながら、当時、若い知識層が物理的かつ精神的な移境者(exile)として出発するほかなかった光景をありありと描き出してゆく。

みずからの体験を語りつつ、カウリーは過去の文化事象を素早く振り返り、歴史の差異と反復とを自由闊達に論じてみせる――18世紀ロンドンの「三文文士街(グラブ・ストリート)」や19世紀パリの「ボヘミア」、ドストエフスキー夫妻が旅したドレスデンに、マルクスが見た束の間のパリ・コミューン、などなど。そしてその合間には、高校時代からの親友であるケネス・バークをはじめ、彼が個人的によく知っていたはずの人々の著作や、自分宛ないし友人宛のしばしばごく私的な書簡の数々を実に魅力的なやり方で引用しながら、行間に若々しい息吹を吹きこむことを忘れない。こうした叙述によってこそ、臨場感溢れるこの「1920年代」の物語は可能となった。

精神的な「故郷」を失った代わりに彼らが手にしたもの――それこそは、おそらく現代的な意味における最初の「世代」の感覚だったろう。戦争という同じ体験、同じ喪失感を見えない絆とした、ゆるやかな連帯の感覚。「あなたたちはみな駄目な子たちね(ジェネラシヨン・ペルデュ)」というガートルード・スタインの言い草をヘミングウェイが敢えてエピグラフに引いてみせたとき、その感覚は決定的な表現を与えられることになった。もちろん、それこそが《ロスト・ジェネレーション》という呼称に他ならない。

荒々しい歴史転換期であると同時に、ふたつの大戦に挟まれた束の間の文化的オアシスでもあった1920年代――それは、そのまま20世紀という時代そのものの「青春」でもある。やがて1939年に決定的な形で終わりを迎えるであろうこの《青春》は、その苦々しい終焉ゆえにこそ、私たちにはいっそう光り輝いて見えるだろう。

(つぎの本は現在品切です。お役に立てずおそれいりますが、もしよろしければ図書館などをご利用いただけましたら幸いです)
エドマンド・ウィルソン『フィンランド駅へ』上(岡本正明訳、みすず書房、1999年)
『20世紀の芸術と生きる――ペギー・グッゲンハイム自伝』(岩元巌訳、みすず書房、1994年)
ピエール・ナヴィル『超現実の時代』(家根谷泰史訳、みすず書房、1991年)



その他のトピックス