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柘植あづみ『生殖技術』
不妊治療と再生医療は社会に何をもたらすか
生殖技術の全体像はどのようなものか。
子どもがほしいカップルがいて、妊娠しないとき、医療の助けを借りて子どもを産む。そう考えればシンプルだ。だが、ことはもっと複雑だ。
不妊治療は、女性の体内でおこる妊娠という現象を、医師が「治療」する領域に変えた。さらに、不妊治療にはさまざまな人が関わるようになった。精子を提供する男性、卵子を提供する女性、代理出産をする女性、斡旋エージェント…。関わる立場の数だけ、問題が生じる。提供精子や提供卵子は売買されるべきか、無償提供されるべきか。提供者の秘密の保持と、生まれた子どもの「出自を知る権利」は、どちらが尊重されるべきなのか。代理出産の報酬は、何に対して支払われるのか。医療の「ニーズ」だけでは、語りきれない問題だ。
そして、生殖技術が不妊治療の範囲を越える事態がおこった。21世紀の医療として期待される再生医療研究に、人の受精卵が必要になったのだ。あらゆる組織や臓器細胞に変化する可能性があるというES細胞は、受精卵を壊してつくられるため、人の受精卵を研究利用するための指針が検討された。人の受精卵とは、不妊治療の過程で生じたものである。
体外受精1回あたりの成功率は約20パーセント、顕微授精の成功率は約15パーセント(日本産婦人科学会2010)と、決して高くない。治療は数年に及ぶことが多く、痛みを伴う検査や、排卵誘発剤の副作用、高額な治療費など、患者の負担は大きい。また、再生医療は実用化にはまだ遠い道のりの、未確定の医療だ。それでも、新しい技術による新しい選択肢が示されれば、人の心は動き、社会の期待は高まる。
再生医療研究による国際競争力への期待は、国家を動かす。子どもがいるのが普通の幸せな家族なのだという考えは、当事者によるものではなくても、技術の強力な推進力になる。期待の連鎖の中で、技術は進んでいく。だから、技術は勝手に暴走しているわけではない。どの技術を使い、あるいは使わないかは社会が決めているのだ。
ならば、生殖技術は患者と医療者だけの問題ではないし、専門家でないと分からない領域ともいえない。技術の方向を決めているのは、じつは社会なのだから。
社会は技術に何を期待し、その結果技術がどの方向にすすみ、社会はどう変わったのか。これからどんな展望を開いていけばいいのか。本書は、これまであまり論じてこられなかった生殖技術の論点と解決の糸口をつぎつぎと照らし出し、ともに考えるための本だ。私たちは、新たな社会の姿をともに考えることができる。
(編集担当 鈴木英果)
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