みすず書房

読めば読むほど深みと魅力をましてゆく本

R・フリゾン=ロッシュ『結ばれたロープ』 石川美子訳

2020.02.26

ためしにアマゾンで「本」のジャンルの検索窓に「フリゾン=ロッシュ」と入れてみれば、この『結ばれたロープ』が最初に、すぐ後に『ザイルのトップ』が出てくるでしょう。この二つ、実は同じ小説なのです。近藤等訳『ザイルのトップ』は1956年に白水社から初版が出て以来、何度も判型や装丁を変えてロングセラーとなりました。ここに新訳を出す最大の理由はこの名作を理想的なかたちで刊行して、その真価を改めて伝えたいからです。

そのためにいくつかの工夫をしました。物語の舞台となる1920年代と今日では登山のありようにも変化があります。小説の原題は「登攀パーティの先頭で登る者」という意味ですが、これは高山ガイドのことだと言ってもよいようです。今なら先に登る者は自分のハーネスにロープを結んで、後から登る者に確保されながら中間支点ごとに登って行きます。しかしそんな道具や技法以前には、登ってゆく者が腰に巻いているロープを下から繰り出すだけで、万が一落ちればかなりの距離を、ともすれば二人いっしょに落下するだけでした。こうした違いや山群の細部を理解できるように付けられた訳注と、当時の登攀の様子や山々の眺めを記録した美しい写真が、物語の中を歩んでいる読者にとって支えになるよう心を配りました。

そして『リンさんの小さな子』の作家フィリップ・クローデルによる素晴らしい紹介を巻頭に入れました。「まさに謎でありつづける本がある。さまざまな年齢でなんども読み、それでも読むことをやめられずに、ますます深みをましてゆく本である。『結ばれたロープ』がそうだ。まちがいなく、わたしがもっとも多く読みかえした本である。三十回ぐらい読んだと思う。」

クローデルが書いているように、これは山岳小説であるとともに、「ほんものの人間形成の教養小説、すなわち、文学において数多くの名作を生み出してきたジャンルの作品」です。そして、名ガイドの父を山で亡くした青年が、登山仲間の助けを得て独り立ちするまでの筋立てに沿いながら、みごとに描き出される風景もまた大きな魅力となっています。「自然の際だった移り変わり、風景の暴力、複雑に入り組んだ岩と氷、それを踏破しようとする人間たちの脆さとの不均衡、植物と鉱物の対比、空と雲、寒さ、大気現象など」が生き生きと描かれています。

登山経験者にはもちろん、文学愛好家にとっても、たぐいまれな高揚感と充実感をもたらすと信じています。没後20年を過ぎたフリゾン=ロッシュの、今でも世界で読み継がれている代表作をみずみずしい完全訳で楽しんでいただけますように。