みすず書房

科学は20世紀の前半に好奇心駆動型から使命達成型に変質したと……

フィン・オーセルー『科学の曲がり角――ニールス・ボーア研究所 ロックフェラー財団 核物理学の誕生』 矢崎裕二訳

2016.05.27

〈現代の科学はしっかりと国家の管理の下に置かれ、言わば権力者の意のままに操られている観がある。5年前の東日本大震災に伴って起こった福島第一原発の事故をきっかけに、我々は現代科学のこの事態を特にはっきりと認識させられることになった。原発政策はひとえに政界財界の思惑に従って推進され、それに関する情報も政府、業界に独占されている。そして安全神話のでっち上げなどの世論操作が行なわれ、いざ重大事故が発生すると放射能の危険性についての情報隠しも行なわれた。

大体、第二次大戦前までは、科学者たちは自主性を保ち、自らの知的好奇心に駆られて、自然の奥に潜む秘密を探るために研究を行なっていたが、いまや国家、企業の雇い人となって請負仕事を課される存在となった。科学は20世紀の前半に好奇心駆動型から使命達成型に変質したと言われる。そしてこのことについては、科学史家にとどまらず、今や当の科学者たちまで不本意ながらも認めざるを得ない事態となっている。オーセルー氏が「科学は純真性を失ってしまった」と言うのも、このことを指しているのであろう。

そしてオーセルー氏の言われるように、この変質の起源は第二次大戦よりももっと前の、まさしく本書が取り上げている時代、すなわちロックフェラー財団などの財閥の社会貢献事業が基礎科学に大規模な援助を行ない始めた時期に求められるのではなかろうか。そういう意味で、この時期は「科学の曲がり角」と呼ぶにふさわしいと思われる。〉(「訳者あとがき」より)

「科学の純真性」というものはどの時代であってもフィクションかもしれない。しかし、国家の主導方針や経済界の要望が私たちの生活全般に波及し、社会がますます一方向に向かっていることは、昨年、日本の文科省が日本の国立大学での文系学部(人文社会科学系学部や教員養成系)を削減し、科学を中心に「実学」に重点をおきたい旨の要望を出し、それにしたがって大学内の再編がはじまっていることをみても、確認できるだろう。そんな時代にあって、私たちは何をどう考えればよいか。

科学と社会と国家の複雑微妙な関わりあいの起源を詳細に追った本書は、かなり専門的ではあるが、その手がかりになるだろう。当時の混沌とした実情にくっきりとした線をはじめて記した、科学史の新たな成果である。