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2019.02.26トピックス

ウェブ上「編集後記」対談

伊藤佳之・大谷省吾・小林宏道・春原史寛・谷口英理・弘中智子
『超現実主義の1937年――福沢一郎『シュールレアリズム』を読みなおす』

共著者を代表して、伊藤佳之氏と弘中智子氏のお二人に「編集後記」をお願いしました。

『超現実主義の1937年――
福沢一郎『シュールレアリズム』を読みなおす』 編集後記

伊藤佳之(福沢一郎記念館)
弘中智子(板橋区立美術館)

研究会のこと

弘中 大谷省吾さんの「あとがき」にもありますが、『超現実主義の1937年』のもととなった、福沢一郎『シュールレアリズム』(1937年刊、以下「原著」)を読む研究会が始まったのは、もう6年近く前のこと(2013年5月)なんですね。

伊藤 わりと最近まで原著をごそごそ読んでいたような気がするので、そんなに時間が経った実感はないのですが…。

弘中 ボリュームのある書物で、しかも福沢の著作とその解説を一冊にまとめるという、とても欲張った内容なので、編集には苦労しましたね。でも、原著の仮名遣いや旧漢字を新しいものに書き換えて、読みやすくしたのは、とても良い工夫だったと思います。デザインも素敵にまとめてくださいました。

伊藤 そうですね。原稿作りに関しては、研究会開催のたびに討論の内容を録音して、その書き起こし・註釈つけをおこない、参加者全員でその内容を共有できていたことが、今回の執筆・編集にとても役立ちました。

弘中 もちろん、書き起こしデータの中には、書籍としてまとめるには脇道に逸れすぎた話題も沢山ありましたね。それが実はとても面白かったのですが。

伊藤 はい、特に福沢のご遺族が毎回研究会を見守ってくださって、時々昔のエピソードなどを話してくださったのは、ありがたかったです。例えばご子息の一也さんが子供の頃、舟橋聖一、豊田三郎などの文学者がよく家に来ていたことなど、小さなことかもしれませんが、戦前から戦後をつなぐ文学者と画家のネットワークを知るうえでは大事なことです。

弘中 今回そのあたりについては、あまり突っ込んで論じられませんでしたね。今後の宿題です。

伊藤 見守られていたといえば、福沢の書斎やアトリエを会場に研究会を行うことができたので、画家がそこにいたような雰囲気を常に感じながら、ゆるゆると討論できたのは、貴重な経験でした。

弘中 蔵書の間に置かれた福沢一郎の写真と目が合ったりして、それもなんだか見守られている感じでしたね。

伊藤 福沢の為人(ひととなり)についての話も、ご遺族からたくさんうかがうことができました。下戸で甘党、潔癖な性格、汚い人が嫌い…(笑)。

弘中 板橋区立美術館で開催した「福沢一郎絵画研究所展」(2010-2011年)の調査でも、時折ご遺族からそのような面白い話を聞いていたのですが、図録の文章にそういうことはあまり書けないですからね。原著のイメージも、やはり画家というよりは大学教授のような知的な印象が強く残ります。でも、そんな人間・福沢一郎のお話を聞きながらの研究会だったので、より近しい感覚で原著に入り込み、終始和やかな雰囲気で読み進めることができました。

伊藤 福沢の好きなお菓子を食べながら…。原著にも「菓子」が扉絵に登場します。

収穫と課題

弘中 今回、書籍の執筆・編集を通じて明らかになったことも色々ありましたね。

伊藤 福沢本人は生前から「俺ぁシュルレアリストなんかじゃねえよ」とよく言っていたそうですが、図らずも原著を読むことで、それが改めて裏付けられた、ということでしょうか。原著刊行の1937時点で、彼は前衛絵画運動のいわば旗振り役という立場を引き受けて活動していたわけですが、彼が見据えていたのは、シュルレアリスムなる芸術運動の推進ではなくて、むしろそれ以後に芸術が進むべき道だったのですから。

弘中 そうなのですが、原著は日本におけるシュルレアリスム運動を説明する際に引き合いに出され、福沢のシュルレアリストという側面を述べるために引用・参照されることが多かったのですよね。

伊藤 原著のタイトルからしてそうならざるを得ないのですが、色々な意味で厄介なことです。

弘中 私は今回の執筆・編集を通じて、原著が持つ性格を深く知ることができたのは収穫でした。つまり出版社からのリクエスト、例えば「一般読者にもわかりやすい芸術思潮の解説を!」等々をある程度引き受けたうえで、抽象芸術や俳諧・禅など、独自な視点を盛り込んで、自身のカラーをしっかり出そうとしたところがみえて、とても興味深かったです。

伊藤 原著を含むシリーズ「近代美術思潮講座」の他の巻にはない特徴ですよね。

弘中 あとは、福沢がフランス帰りなので、フランスの文献ばかりを参照していたのかと思ったのですが、じつはアメリカ、ニューヨーク発の美術に関する書籍(MoMAの展覧会図録など)を、かなりのボリュームで参照していたのが意外でした。

伊藤 それは、造形芸術に関する情報発信の中心地が、1920年代まではパリが主であったのに、1930年代になってどんどん多極化していく同時代の動きを、よく示しているともいえますね。特にMoMAの図録は日本の美術雑誌で何度も取り上げられ、引用されるようになります。福沢も、こうした最新の動向にはおおいに注意を払っていたということがわかります。

弘中 原著に掲載された作品図版にも、そうした書籍からの引用と思われるものが多数ありましたね。

伊藤 そうですね。原著の図版の出所を追うことができたのは、今回の大きな収穫といえます。そこから原著で参照したと思われる文献を見つけることもできました。と同時に、当時の若い画家たちがどんな図像(イメージ)を拠り所にしていたのかを考えるきっかけにもなりました。ただ、まだ追い切れていないものもかなりあるので、今後の課題ですね。

福沢一郎という画家・論客に挑む意味

伊藤 原著は、美術思潮の解説本としてはなかなか不思議な構造・内容になっていますよね。ちょっとずつ引用するなら便利に使えるのかもしれませんが、やはり全体を通して読解するのは難しかった。だから今まで誰もやらなかったのだと思いますが…。ともあれ、原著をじっくり時間をかけて、多くの人の視点で読むことで、難解な部分が少しずつクリアになって、実感として頭の中に入ってきたことが、私はとてもありがたかったです。

弘中 全国からたくさんの研究者が集まってくれましたね。それだけ福沢一郎という画家・論客に魅力があるのだと思います。福沢一郎の思考の鋭さや知性の豊かさは、今回読んでみて改めて感じたことです。単に画家というよりは、知識人として、あるいは若い画家たちが慕う指導者として、どう振る舞い、どう発信するか。時代の要求にどう応えるか。彼はそんなことも常に意識していたのだろうなと、原著を読み、原稿を書きながら思いました。同時に、彼の他の著書や雑誌記事なども、時代の流れと照らし合わせて、もっと丁寧に読んでいきたいと思いました。

伊藤 研究会の役割は、まだまだ終わりそうにありませんね。

弘中 もちろん、画家としての彼の魅力も、皆さんと話し合っていきたいです。

伊藤 福沢の約65年に及ぶ画家としてのあゆみは、原著と同様、全体としてみれば理解しやすいものではないし、単純でもない。もちろん本人は実にシンプルに作画と向き合い、自分の目指す絵画表現を追究したのだと想像します。とすれば、彼を取り巻く環境、社会、芸術のありよう、そしてその変化じたいが、軽々に理解することを許さぬ複雑なものであったといえるかもしれない。
福沢の画業のうちでもっとも「わかりやすい」のは、いわゆる「シュルレアリスム絵画の紹介者」という立場にあったわずかな期間といっていいと思います。正確にいうならば、原著が書かれた1937年、すでに福沢はこの立場にいないのです。先ほども言いましたが、このとき彼はもうシュルレアリスム以後の絵画を含む芸術の進むべき道を探ろうとしているのです。しかし世の中はいまだに、簡単に福沢を「シュルレアリスム絵画の?」と言ってしまうので、余計に話がややこしくなる。簡単な物言いが、むしろ誤解や難解さを生むのは、何も芸術に限った話ではないですが…。短いフレーズが世の中を飛び交う昨今、地味に地道に画家の発することばに耳を傾け、その意味を探ることは、案外大事な意味を持っているのかもしれないと思います。

生誕120年
「福沢一郎展――このどうしようもない世界を笑いとばせ」

謎めいたイメージの中に社会批評をこめた前衛画家・福沢一郎の多彩な画業を振り返る回顧展。油彩87点、素描9点、写真7点の計103作品展示。
国立近代美術館(東京・竹橋)で2019年3月12日(火)-5月26日(日)開催。




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