みすず書房

原子力災害後の土地で暮らすとは。安東量子『海を撃つ』

『海を撃つ――福島・広島・ベラルーシにて』 [2月8日刊]

2019.02.08

原子力災害後の土地で暮らすとは。
忘却に押しやられようとするその地の人びとの生活と苦闘、
そこにある苦悩と焦燥を、多くの人は知らない。
いわき市在住の著者が出会い考えた
広島、福島、チェルノブイリ、それぞれの平坦な戦場。

無数のいなくなった人たちの痕跡は、記憶の不在としてだけ残されている。(…)
私の暮らしてきた広島は、そうした不在の上に成り立っていた街だった。そのことに気づかず、平穏に過ごしてきたつもりの私は、もしかしていなくなってしまった人たちを、無遠慮に踏みつけた上に暮らしていたのかもしれない。
(「広島、福島、チェルノブイリ」)

「我々の思いは、彼らと共にある」
この短い文章を読んで、私は自分でも驚くくらいに感情を動かされた。そして、初めて気づいた。これが私がいちばん欲しいと願っていた言葉なんだ、と。混乱が収まらず、先がどうなるかわからない中、誰もがそこに暮らしている人のことを忘れていた。次々に明らかになる事実は人びとの暮らしを素通りし、世間の関心は、ただ事故を起こした原発の状況と政府や東電の対応にだけ向かっていた。
(「ジャック・ロシャール、あるいは、国際放射線防護委員会」)

ブラーギンの人たちは、アンナニカさんが言ったように「なぜこんなところに暮らすのか」と繰り返し問われ、そのたびに「私たちは元気です」「ここは私たちの故郷です」と抗弁してきたのだろう。自分の中にも、その問いは繰り返し生じたのかもしれない。惑い、逡巡し、抗弁し、決意し、そうした揺れ動く心を経験し、最終的にそこに暮らすことを彼らは選んだ。だから、あんなにも暮らすことへの意志をはっきりとその眼差しに示していたのかもしれない。
(「アナスタシアとアンヌマリー」)

「まわりの人間ががんになった時に、放射能のせいではないかと思う。その時に、自分たちはできることをしてきたのだとそう思うために、測定をしている」。あれだけ論理的に事態に向き合い行動してきたノルウェーのアンヌマリーさんたちが、事故から二六年も経ってなおそう言うのなら、福島で起きた事故に関しても、将来同じような思いが去来するに違いない。その時、無限の後悔に苛まれないように。私たちは、できることをしてきたんだ。現実に向き合って、自分の人生を生きてきたのだ、そう思えるために。
(「末続、測ること、暮らすこと」)

そして、私は気づいた。原発事故によって放出・拡散された放射性物質が損なったのは、通常、事故が起きなければ自覚することさえない、私たちの暮らす環境そのものへの信頼だったのだ。自分の暮らす場所を信頼していますか? なにか不安はありますか? 通常であれば、奇妙な問いだ。だが、私たちが原発事故以降ずっと問われ続け、そして知りたいと願っていたのは、きっとこのことなのだ。彼女の言葉によって、私は測ること、暮らすことの意味を理解できた気がした。私たちは、失われた土地への信頼をひとつひとつ測りながら確認し、またつなぎ合わせていく。
(「末続、測ること、暮らすこと」)

  • ■ 広島で生まれ育ち、福島で原発事故を体験した著者による、初の単著
  • ■ これまでの事故報告書や報道が拾いきれなかった、実際の一住民による貴重なドキュメント
  • ■ 祈るように著者が心に抱いているのは、「原子力災害後の人と土地の回復とは何か」ということ