みすず書房

濱田武士・小山良太・早尻正宏『福島に農林漁業をとり戻す』

2015.03.11

「福島に農林漁業をとり戻す」というと、「福島の農業はほんとうに大丈夫なのか」「実際、復興は可能なのか」という反応が返ってくる。震災がなくても「地域消滅」までが議論される時代だ。
だが、あきらめる選択はない。福島に生き、復興するしかないとする人々がいるのだから。

賠償金が高いという人がいる。一人当たり月10万円の精神的賠償は、家族4人で4年間受け取れば、1920万円になる。しかし、それをもって移住した場合、先祖代々守ってきた家、土地、田畑、墓を購入するにこと足りるだろうか。地域の自然と農業のなかで代々培われた技能をすべて捨てて、新たに賃金労働者になる理由になるだろうか。
地域は商品ではない。農業は「稼ぎ」の場ではなく多くに人々の「なりわい」によって支えられてきた。ここに農村の豊かさの源泉がある。(2章)

復興のためにできること、やるべきことは何かを問いつづける。本書はそこに立っている。 同時に、福島の農林漁業の重みと人々の苦闘の記録である。

伊達市霊山町小国。 他の避難区域は集落単位であるのに、特別避難勧奨地点に指定された小国では、戸別に家の前で放射線量を測り、地区住民の約5分の1だけが月10万円の賠償金を受け取り、残りの5分の4には、たとえ隣どうしでも、子どもが同じ小学校に通っていても、一円も補償されないという事態になった。
このままでは集落が分断されてしまうとして、住民が自主的に「放射能からきれいな小国を取り戻す会」を結成し、県で最初の住民による汚染マップを作成したり、大学機関と共同で稲作とセシウムの関係を調べるための独自の試験栽培に取り組んだりした。
このような「協同」がはたらいたのは、明治31年、日本で最初の農業協同組合がここ小国で設立された伝統があるからと、説明される。その設立者で「農協の父」とされる佐藤忠望(ちゅうぼう)は、わたしの四代前の係累だった。
震災から4年目が終わろうとする2月28日。小国で、3年間にわたり稲の試験栽培を実行した東大教授による報告会と、「放射能からきれいな小国を取り戻す会」の懇親会があった。地域に、生活に、放射能汚染がしみついている理不尽な苦しみを背負いこんだ農家の人々と、「たんなる研究ならば、研究室で似たような環境を整えて実験すればよい。なぜ小国に通いつづけたかというと、農学者として、ここで起きていることを明かさなければと思うから」と語る研究者が向き合っていた。

本来、農、林、漁で働く人も、農作物、きのこや魚を食べる人も、どちらの立場に立っても豊かさを感じる国土利用を考える必要があった。農村漁村の豊かさと、都市の豊かさは明らかに違う。そこに優劣はないはず。だが、都市の「物的」豊かさの追求のために農林漁村の本来の豊かさが失われるという、地域経済の不均等発展が今日の悲劇を生んできた。発展のために犠牲を厭わなかった、これまでの日本経済の在り方は今後変わるのだろうか。福島に農林漁業をとり戻すとは、この問いかけに答えを出すことである。(終章)

はせ掛け 2012年11月 福島市飯野町
(撮影・石井秀樹)

農協・漁協・生協・森林組合がフル稼働した一方で、ばらばらにされた都市の人々、なんの補償も手にしていない無数の個人がいる。
世界史に刻印される原子力災害に襲われた土地で、人間のなりわいをどのように復興させるのか。漁業・農業・林業経済学の研究者がひもといた本書の問題はそのまま、明日の国土のあり方と、わたしたちはそこでどのように生きたいか、につながっている。想像力を広げたい。