トピックス
シリーズ《始まりの本》
[2011年11月10日刊行開始]
「始まりが存在せんがために人間は創られた」
(アウグスティヌス)
「人間はそれ自らが始まりである」
(H・アーレント)
「始まりとは〈差異をつくる〉ものだ」
(E・サイード)
始まりとは始原(オリジン)。
そこから生い育つさまざまな知識の原型が、
あらかじめ潜在しているひとつの種子である。
新たな問いを発見するために、
いったん始原へ立ち帰って、
これから何度でも読み直したい現代の古典。
未来への知的冒険は、ふたたびここから始まる!
みすず書房創立65周年企画
新シリーズ《始まりの本》
- 第1回配本(2011年11月10日)6冊
- 第2回配本(2012年1月)2冊、第3回配本(2012年3月)2冊、第4回配本(2012年6月)5冊、以降、3カ月ごとに3、4冊ずつ配本予定
- 四六判 ソフト上製 200-400頁 予価2625-3990円(税込)
* 第1回配本のご案内
『臨床医学の誕生』
ミシェル・フーコー 神谷美恵子訳
[斎藤環解説]
- ――個人というものは、生命が最初にとる形でもなければ、その最も鋭い形でもない。個が認識の対象となるのは、長い間にわたる空間化の動きのあげくのことである。この動きにとっての決定的な道具は、或る種の言語の使用と、死についての困難な概念化であった。 (…)アリストテレスの古い法則は、個についての科学的陳述を禁じていたが、言語の中に死がその概念の場を発見したとき、この禁止は解けたわけである。つまり、その時、空間はまなざしに対して、個の分化した形を開いたわけである。――
- 一八世紀末に端を発する現代医学は、病を知覚する空間とそれを記述する言語、および身体の解剖から始まった。人間が自らの個体を知の対象とする臨床医学は、いかにして誕生したのか。『言葉と物』の先駆をなす、初期フーコーの代表作。
- 392頁 3990円 ISBN 978-4-622-08341-2
- ビンスワンガー/フーコー『夢と実存』荻野恒一他訳はこちら
- M・ボス編『ハイデッガー ツォリコーン・ゼミナール』木村敏・村本詔司訳はこちら
- V・ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトクライス』木村敏・濱中淑彦訳はこちら
- V・ヴァイツゼカー『パトゾフィー』木村敏訳はこちら
- M・メルロー=ポンティ『知覚の現象学』 1 竹内芳郎・小木貞孝訳はこちら
- M・メルロー=ポンティ『知覚の現象学』 2 竹内・木田・宮本訳はこちら
- M・メルロ=ポンティ『意識と言語の獲得』木田元・鯨岡峻訳はこちら
- 中井久夫『西欧精神医学背景史』《みすずライブラリー》はこちら
- ピエール・ジャネ『症例 マドレーヌ』松本雅彦訳はこちら
- ミシェル・ド・セルトー『ルーダンの憑依』矢橋透訳はこちら
- 『神谷美恵子コレクション』全5冊はこちら
『二つの文化と科学革命』
チャールズ・P・スノー 松井巻之助訳
[S・コリーニ解説(増田珠子訳)]
- ――意思疎通ができないような、また意思疎通しようとしないような二つの文化の存在は危険である。科学がわれわれの運命の大半、すなわちわれわれの生死を決定しようという時代に、単に実際的な面からだけ考えても、それは危険なことである。科学者が間違った勧告 を与えることもありうるし、政策決定者たちがその当否を知りえないこともありうる。一面、分裂した文化をもつ科学者たちは、いろいろな可能性について自分たちだけに通用するような知識を提供する。(…)われわれは永い間耐える覚悟をするのは当然としても、上述のようなことはいずれも政治の成り行きを一そう複雑にし、場合によっては一そう危険なものとする。――
- 自然科学と人文科学、各々の知的・精神的風土の乖離と無理解がもたらす社会的危機を訴え大論争を巻き起こした書。科学と文化を語る必須文献で科学社会学が精緻化された現在も、常にルーツとして参照される名著。70頁余の新解説を付す。
- 208頁 2940円 ISBN 978-4-622-08342-9
- J・R・ブラウン『なぜ科学を語ってすれ違うのか』青木薫訳はこちら
- T・フランセーン『ゲーデルの定理――利用と誤用の不完全ガイド』田中一之訳はこちら
- T・S・クーン『科学革命の構造』中山茂訳はこちら
- T・S・クーン『科学革命における本質的構造』安孫子誠也・佐野正博訳はこちら
- T・S・クーン『構造以来の道』佐々木力訳はこちら
- C・C・ギリスピー『客観性の刃』島尾永康訳はこちら
- C・C・ギリスピー『科学というプロフェッションの出現』島尾永康訳はこちら
- U・セーゲルストローレ『社会生物学論争史』 1 垂水雄二訳はこちら
- U・セーゲルストローレ『社会生物学論争史』 2 垂水雄二訳はこちら
- 中村禎里『日本のルィセンコ論争』《みすずライブラリー》はこちら
『天皇の逝く国で』
[増補版] ノーマ・フィールド 大島かおり訳
- ――祖母の家は、彼女のエネルギーと、彼女がつねに放射するやさしさで、さわさわと活気だつ。朝はやく、まだ明けやらぬうちから、 それは床板をとおして私が夫と一年間占領していた部屋まで伝わってきて、どんな理科の授業もおよばないほど、音は波となって伝播することを感得させてくれた。祖母と母が、子どもたちのお弁当にこれがいいか、あれがいいかと話しているのだろう。――
- 「みずからの個人史に重ねて描いたこの現代日本の物語は、すぐれた翻訳とあいまって、本書の主題の新鮮で緻密な分析とともに、これ までにない新たな魅力をそなえた作品になっている」(『東アジア人文書100』の紹介より)。登場人物は体制順応という「常識」に抗った三人の日本人。沖縄国体で日の丸を焼いた知花昌一、殉職自衛官の夫の靖国神社合祀に反対した中谷康子、天皇の戦争責任を明言して狙撃された長崎市長の本島等。あれから20年、新たな文章を付す。
- 400頁 3780円 ISBN 978-4-622-08343-6
- ノーマ・フィールド『祖母のくに』大島かおり訳はこちら
- ノーマ・フィールド『へんな子じゃないもん』大島かおり訳はこちら
- ノーマ・フィールド『源氏物語、〈あこがれ〉の輝き』斎藤和明他訳はこちら
- テッサ・モーリス=鈴木『辺境から眺める』大川正彦訳はこちら
- 『謝花昇集』伊佐眞一編はこちら
- 明田川融『沖縄基地問題の歴史――非武の島、戦の島』はこちら
- 新城郁夫『沖縄を聞く』はこちら
- 羅英均『日帝時代、わが家は』小川昌代訳はこちら
- 戸谷由麻『東京裁判――第二次大戦後の法と正義の追求』はこちら
- A・ゴードン『日本の200年――徳川時代から現代まで』上 森谷文昭訳はこちら
- A・ゴードン『日本の200年――徳川時代から現代まで』下 森谷文昭訳はこちら
- A・ゴードン編『歴史としての戦後日本』上 中村政則監訳はこちら
- A・ゴードン編『歴史としての戦後日本』下 中村政則監訳はこちら
- 『東アジア人文書100』[発行・東アジア出版人会議/発売・みすず書房]はこちら
『可視化された帝国』
近代日本の行幸啓
[増補版] 原武史
- ――天皇や皇太子による行幸啓を全国レベルで繰り返し、支配の主体を訪問した地方の人々、狭義の政治から疎外されていた女性や外国人、学生生徒を含む人々に視覚的に意識させることを通して、彼らを「臣民」として認識させる戦略(…)人々は、ただ一緒に万歳を 叫び、君が代を斉唱するだけで「日本国民のひとり」となったのではなかった。たとえどこに住んでいようが、「国家的シンボルを同時的に認識する」機会が与えられ、その生々しい体験を通して「臣民」であることを実感できたところに注目するべきである。(…)明治、大正、昭和を一貫する〈視覚的支配〉の実態を探ることなしに、近代天皇制を考察することはできないといってよい。――
- 『「民都」大阪対「帝都」東京』も『大正天皇』も、この近代天皇制の〈視覚的支配〉を追う十年に及んだ実証的研究から生まれた。昭和初期に成立をみる「「国体」の視覚化」と、「想像の共同体」確立に至る「戦中期の〈時間支配〉」を補論に収める主著完全版。
- 520頁 3780円 ISBN 978-4-622-08344-3
- 丸山真男『戦中と戦後の間』はこちら
- 藤田省三『異端論断章』はこちら
- 萩原延壽『自由の精神』はこちら
- ジョン・W・ダワー『昭和』明田川融監訳はこちら
- H・ハルトゥーニアン『歴史と記憶の抗争』K・M・エンドウ編・監訳はこちら
- テツオ・ナジタ『Doing 思想史』平野克弥編訳はこちら
- R・ジェラテリー『ヒトラーを支持したドイツ国民』根岸隆夫訳はこちら
- J-M・アポストリデス『機械としての王』水林章訳《みすずライブラリー》はこちら
- 北一輝著作集 1 『国体論及び純正社会主義』神島二郎解説はこちら
- 永山正昭『星星の火』平岡茂樹・飯田朋子編はこちら
- 『現代史資料』全45巻・別巻1[オンデマンド版]はこちら
- 『続・現代史資料』全12巻[オンデマンド版]はこちら
『哲学のアクチュアリティ』
初期論集
[初書籍化] テオドール・W・アドルノ 細見和之訳
- ――哲学に与えられているものといえば、存在者の謎めいた形象およびその不可思議な絡まり合いから、一瞬生じては消えてゆく、さまざまな暗示のみです。哲学の歴史とは、このような形象の絡まり合いの歴史にほかなりません。だからこそ、哲学には「成果」というも のが与えられていません。だからこそ、哲学はたえず新たに始めなければなりません。だからこそ、哲学は以前の時代に紡がれたどんなわずかの糸もなしで済ますわけにはゆきません。ひょっとすればその糸は、件の暗号を一つのテクストに変容させてくれる、罫線を補ってくれるかもしれないのですから。――
- 初期アドルノの根幹であり、現代思想の原点をなす1920年代の画期を伝える重要な二講演「哲学のアクチュアリティ」「自然史の理念」を軸に、初めての邦訳「哲学者の言語についてのテーゼ」、長短44の断片「音楽アフォリズム」を収録する。
- 200頁 3150円 ISBN 978-4-622-08345-0
- 『アドルノ 文学ノート』 1 三光長治他訳はこちら
- 『アドルノ 文学ノート』 2 三光長治他訳はこちら
- Th・W・アドルノ『キルケゴール』山本泰生訳はこちら
- 細見和之『アドルノの場所』はこちら
- E・W・サイード『故国喪失についての省察』 2 大橋洋一他訳はこちら
- E・W・サイード『音楽のエラボレーション』大橋洋一訳はこちら
- マーティン・ジェイ『弁証法的想像力』荒川幾男訳はこちら
- S・ヒューズ『大変貌――社会思想の大移動1930-1965』荒川・生松訳はこちら
- R・G・コリングウッド『自然の観念』平林康之他訳はこちら
- シリーズ《エコロジーの思想》はこちら
『進歩の終焉』
来るべき黄金時代
ガンサー・S・ステント 渡辺格・生松敬三・柳澤桂子訳
[木田元解説]
- ――進歩はいまや終点に近づきつつあるという主張に直面すると、多くの人々は、歴史をふりかえると、もうこの時代以後はいかなる進歩も可能ではないと主張する視野の狭い誤れる予言者がいつもいたという事実を指摘して、この考えを払いのけてしまうようである。 ……進歩の終末という誤った予言が昔からあったというのはぜんぜん正しくない。なぜなら、歴史はよりよき世界への運動を具現しているという進歩の観念そのものが生れてからほとんど二百年も経っていないからである。だから、進歩が終末に近づきつつあるという最初の主張が現われたのは、それよりもっと新しいことでなければならない。――
- 科学や芸術の進歩は、永遠に続くのだろうか。分子生物学の興亡、ポップ・アートや現代音楽の動向を分析しつつ、その終焉を宣言する。成長を前提としない社会のあり方が模索されている現在を、1960年代に予言していた刺激的な文明論。
- 226頁 2940円 ISBN 978-4-622-08346-7
- ジョン・グレイ『わらの犬――地球に君臨する人間』池央耿訳はこちら
- トニー・ジャット『荒廃する世界のなかで――これからの「社会民主主義」を語ろう』森本醇訳はこちら
- アレックス・ロス『20世紀を語る音楽』 1 柿沼敏江訳はこちら
- アレックス・ロス『20世紀を語る音楽』 2 柿沼敏江訳はこちら
- 中沢新一『芸術人類学』はこちら
- D・M・ベルーベ『ナノ・ハイプ狂騒』上 五島綾子監訳・熊井ひろ美訳はこちら
- D・M・ベルーベ『ナノ・ハイプ狂騒』下 五島綾子監訳・熊井ひろ美訳はこちら
- ヴァンダーミーア/ペルフェクト『生物多様性〈喪失〉の真実』新島義昭訳はこちら
- H・E・デイリー『持続可能な発展の経済学』新田・藏本・大森訳はこちら
- N・ジョージェスク=レーゲン『エントロピー法則と経済過程』高橋・神里他訳はこちら
- 玉野井芳郎『エコノミーとエコロジー』はこちら
- 上村芳郎『クローン人間の倫理』はこちら
- G・R・テイラー『人間に未来はあるか』渡辺格・大川節夫訳はこちら
- G・R・テイラー『地球に未来はあるか』大川節夫訳はこちら
[以上(6冊) 2011年11月10日刊行予定]
* 続刊予定
『アウグスティヌスの愛の概念』
ハンナ・アーレント 千葉眞訳
『天皇制国家の支配原理』
藤田省三
[以上、第2回配本(2冊) 2012年1月刊行予定]
『チーズとうじ虫』
16世紀の一粉挽屋の世界像
カルロ・ギンズブルグ 杉山光信訳
『知性改善論・短論文』
バールーフ・デ・スピノザ 佐藤一郎訳 [新訳]
『ノイズ』
音楽/貨幣/雑音
ジャック・アタリ 金塚貞文訳
『政治的ロマン主義』
カール・シュミット 大久保和郎訳
[以下続刊]
* 本シリーズの特徴
- 人文諸科学はじめ、知が錯綜し、新たな展望を示せない不透明な今の時代に、だからこそ〈始まり〉に立ち帰って、未来への指針を与える本
- トレンドからベーシックへ、これだけは押さえておきたい現代の古典
- すでに定評があり、これからも読みつがれていく既刊書、および今後基本書となっていくであろう新刊書で構成
- ハンディな造本、読みやすい新組み、新編集
