みすず書房

トピックス

シリーズ《始まりの本》

最新刊(2012年9月10日)

始まりとは始原(オリジン)。
新たな問いを発見するために、いったん始原へ立ち帰って、
これから何度でも読み直したい現代の古典。
未来への知的冒険は、ふたたびここから始まる。

* 2012年9月10日配本 (1冊)

『隠喩としての病い/エイズとその隠喩』

スーザン・ソンタグ 富山太佳夫訳
  • ――私は書いた。使命感と、生きてものを書ける時間がどれだけ残されているかわからないという不安にせきたてられて、猛烈なスピードで書いた。(…)文学的営為が伝統的に目標とする意味の付与ではなく、意味をいくらかでも奪いとること。「反解釈」というきわめて論争的なドン・キホーテもどきの戦略を、こんどは現実の世界にぶつけてみること。肉体に。私の目標は、何よりもまず実践的なものであった。癌になるという体験を歪めてしまう隠喩的な付属品がきわめて重大な結果をもたらすということ、そのために人々は早期に治療を受けたり、十分な治療を受けるためにいっそう努力したりするのを尻込みするのだということを、私は何度も目にして、暗澹たる想いにとらわれたからである。隠喩と神話は人を殺す、私はそう確信した――

* 2012年6月22日配本 (2冊)

『プロメテウスの火』

朝永振一郎 江沢洋編 [好評重版]
  • ――原子力の悪用の害悪はあまりにも大きい。その発見は、人類の進歩のため喜ぶべきだと、何とかして考えたい。しかし、アナロジーを持って来るのは非科学的かも知れないが、動物の進化の法則も必ずしも合目的ではないようだ。巨大な大昔の爬虫類や、マンモスのグロテスクに曲った牙がよい例だ。自然界では、場合によっては滅びることを目的としているように見えるものがある。それは必要に迫られたというよりも、進化論学者から文句が出るだろうが、発展の法則それ自身が非合目的であるのかも知れない。これは自然科学も、人類の文明も含めていえることではないか。――

『科学史の哲学』

下村寅太郎
[加藤尚武解説]
  • ――ギリシャ人は人間的活動のほとんどあらゆる領域にわたって卓越していたが、科学の創造には驚くべく貢献するところが少ない。ギリシャ的天才は帰納的よりも演繹的であった。それゆえ数学が栄えた。それ以後の時代においてギリシャ数学はほとんど忘れられたが、ギリシャ人の演繹に対する情熱の他の産物、ことに神学と法律とは残存し繁栄した。ギリシャ人中最も科学的であったのはアルキメデスである。しかし彼の「力学」もエウクレイデスの幾何学と同じく公理から出発する。公理は実験の結果ではなく自明として仮定されているものである。――

* 2012年6月8日配本 (3冊)

『チーズとうじ虫』

16世紀の一粉挽屋の世界像
カルロ・ギンズブルグ 杉山光信訳
[上村忠男解説]
  • ――その男の名はドメニコ・スカンデッラといったが、人びとからはメノッキオと呼ばれていた。メノッキオは1532年にモンテレアレで生まれた。モンテレアレはフリウリ地方の丘陵地帯にある小さな町でポルデノネの北方25キロ、ちょうど山岳を背にひかえるような位置にある。(…)
    「各人はその職業に従って働く。あるものは身体を動かし骨折って働き、あるものは馬鍬で耕す、そして私はといえば神を冒瀆するのが仕事だ。」
    「ナンジハカタクナナ心デ説キ続ケタ……汚レタル不信心ナ言葉ニテ神ヲ罵ッタ。」
    「私が考え信じるところでは、すべてはカオスである。すなわち土、空気、水、火のすべてが渾然一体となったものである。この全体は次第に塊になっていった。ちょうど牛乳からチーズができるように。そしてチーズの塊からうじ虫が湧き出るように天使たちが出現したのだ。」
    「ワレラハ多種多様ニシテマタ未ダ曾テ知ラレザル種類ノ誤レル異端ノ説ヲナンジニ見イダセリ。」――

『政治的ロマン主義』

カール・シュミット 大久保和郎訳
[野口雅弘解説]
  • ――主観的機会原因論は自由な創造性の小さな島を見つけることができるが、しかしここですらも、無意識のうちに最も身近で最も強力な勢力に服従している。そして単なるオッカジオネルなものとして見られた現在に対するその優越性はきわめて皮肉な逆転を蒙らされる。ロマン的なるもののすべては他のさまざまの非ロマン的なエネルギーに仕え、定義や決断に超然としているというその態度は一転して、他者の力、他者の決断に屈従的にかしずくことになるのである。――

『望郷と海』

石原吉郎
[岡真理解説]
  • ――彼はついに〈告発〉の言葉を語らなかった。彼の一切の思考と行動の根源には、苛烈で圧倒的な沈黙があった。それは声となることによって、そののっぴきならない真実が一挙にうしなわれ、告発となって顕在化することによって、告発の主体そのものが崩壊してしまうような、根源的な沈黙である。強制収容所とは、そのような沈黙を圧倒的に人間に強いる場所である。そして彼は、一切の告発を峻拒したままの姿勢で立ちつづけることによって、さいごに一つ残された〈空席〉を告発したのだと私は考える。告発が告発であることの不毛性から究極的に脱出するのは、ただこの〈空席〉の告発にかかっている。――

* 2012年4月配本 (2冊)

『ノイズ』

音楽/貨幣/雑音
ジャック・アタリ 金塚貞文訳
[陣野俊史解説]
  • ――不確かでうつろいやすく、ささやかでかすかな流れとなって、音楽はわれわれの世界、そしてわれわれの日々の生活の隅々にまでゆきわたっている。今、それは、条理を失った世界の中で、安らぎを見出し得るのはBGMしかないかのように、われわれには不可欠なものとなっている。今日、音楽の流れるところにはすべてまた、貨幣がある。(…)商品となった非物質的な悦びたる音楽は、記号の社会、物質的でないものまでが売買される社会、社会関係が貨幣に統合された社会を告知しているのだ。  音楽は、予言的であるが故に告知する。音楽は、いつの時代にもその原理のうちに、来たるべき時代の告知を含んでいたのだ。――

『素足の心理療法』

霜山徳爾
[妙木浩之解説]
  • ――心理療法の歴史を顧みると、始めのうちこそ患者があって理論が生まれてきた素足の時代があったようであるが、次第に大ていは誰でも、まず自分の気に入った理論という靴をはいて患者を診るようになってきた。靴をはくのは自分の足を保護したり、外見をよくしたりするのには、たしかに役に立つかもしれない。しかし言葉通りの隔靴掻痒という現象もすべての心理療法の各流派について出現してきたのも事実である。大地に、患者に、素朴にしっかりと、はだしで立つことは、何か土くさい、ローカルなこととして考えられるようになってきた。しかし心理療法というものは、もともとローカルなものとして始まったのである。――

* 2012年1月配本 (2冊)

『天皇制国家の支配原理』

藤田省三
  • ――天皇は道徳的価値の実体でありながら、第一義的に絶対権力者でないことからして、倫理的意思の具体的命令を行いえない相対的絶対者となり、したがって臣民一般はすべて、解釈操作によって自らの恣意を絶対化して、これ又相対的絶対者となる。ここでは、絶対者の相対化は相対的絶対者の普遍化である。かくして天皇制絶対主義は権力絶対主義を貫徹しないことによって、恣意と絶対的行動様式を体制の隅々にまで浸透させ、したがってあまりにパラドクシカルにも無類の鞏固な絶対主義体系を形成したのである。客観的権限の主観的恣意への同一化、「善意の汚職」と「誠実なる専横」、かくて天皇制官僚制は、近代的なそれから全く逸脱してゆくのである。――

『アウグスティヌスの愛の概念』

ハンナ・アーレント 千葉眞訳
  • ――こうして「愛(ディレクティオ)」は、自己自身が他の人々と共通の危機の中にあるとの認識に根拠づけられている。キリスト信徒の「世界内存在」In-der-Welt-seinは、自らの過去への帰属性を表しているが、同時に危機の中にある存在をも意味している。(…)こうして「地の国」における人々の相互生活の基盤を作り上げていた運命共有者としての仲間意識が、再び新たな自覚において保持されるようになる。――

* 第1回配本 (2011年11月・6冊)

『臨床医学の誕生』

ミシェル・フーコー 神谷美恵子訳
[斎藤環解説]

『二つの文化と科学革命』

チャールズ・P・スノー 松井巻之助訳
[S・コリーニ解説(増田珠子訳)]

『天皇の逝く国で』

[増補版] ノーマ・フィールド 大島かおり訳

『可視化された帝国』

近代日本の行幸啓
[増補版] 原武史

『哲学のアクチュアリティ』

初期論集
[初書籍化] テオドール・W・アドルノ 細見和之訳

『進歩の終焉』

来るべき黄金時代
ガンサー・S・ステント 渡辺格・生松敬三・柳澤桂子訳
[木田元解説]

* 続刊予定

『カフカとの対話』

手記と追想
グスタフ・ヤノーホ 吉田仙太郎訳 三谷研爾解説

『パリ・病院』(仮)

1794-1848
E・H・アッカークネヒト 舘野之男訳 引田隆也解説

『ロシア革命の考察』

E・H・カー 南塚信吾訳

『物理の魅力』(仮)

朝永振一郎

『孤独な群衆』

上・下
D・リースマン 加藤秀俊訳

『知性改善論・短論文』

バールーフ・デ・スピノザ 佐藤一郎訳

『ベンヤミン アドルノ往復書簡』

[以下続刊]




その他のトピックス