トピックス
シリーズ《始まりの本》
最新刊(2012年9月10日)
始まりとは始原(オリジン)。
新たな問いを発見するために、いったん始原へ立ち帰って、
これから何度でも読み直したい現代の古典。
未来への知的冒険は、ふたたびここから始まる。
* 2012年9月10日配本 (1冊)
『隠喩としての病い/エイズとその隠喩』

スーザン・ソンタグ 富山太佳夫訳
- ――私は書いた。使命感と、生きてものを書ける時間がどれだけ残されているかわからないという不安にせきたてられて、猛烈なスピードで書いた。(…)文学的営為が伝統的に目標とする意味の付与ではなく、意味をいくらかでも奪いとること。「反解釈」というきわめて論争的なドン・キホーテもどきの戦略を、こんどは現実の世界にぶつけてみること。肉体に。私の目標は、何よりもまず実践的なものであった。癌になるという体験を歪めてしまう隠喩的な付属品がきわめて重大な結果をもたらすということ、そのために人々は早期に治療を受けたり、十分な治療を受けるためにいっそう努力したりするのを尻込みするのだということを、私は何度も目にして、暗澹たる想いにとらわれたからである。隠喩と神話は人を殺す、私はそう確信した――
- ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』北條文緒訳はこちら
- ソンタグ『土星の徴しの下に』富山太佳夫訳はこちら
- ソンタグ『書くこと、ロラン・バルトについて――エッセイ集1/文学・映画・絵画』富山太佳夫訳はこちら
- ソンタグ『サラエボで、ゴドーを待ちながら――エッセイ集2/写真・演劇・文学』富山太佳夫訳はこちら
- クラインマン他『他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知る』坂川雅子訳 池澤夏樹解説はこちら
- クラインマン『精神医学を再考する』江口重幸他訳はこちら
- P・ファーマー『権力の病理 誰が行使し誰が苦しむのか――医療・人権・貧困』豊田英子訳 山本太郎解説はこちら
- 柘植あづみ『生殖技術――不妊治療と再生医療は社会に何をもたらすか』はこちら
- マーガレット・ロック『脳死と臓器移植の医療人類学』坂川雅子訳はこちら
- マーガレット・ロック『更年期』江口・山村・北中訳はこちら
- フェイドン/ビーチャム『インフォームド・コンセント』酒井・秦訳はこちら
- D・ヒーリー『抗うつ薬の功罪』田島治監修 谷垣暁美訳はこちら
- 『ヒーリー精神科治療薬ガイド』[第5版]田島・江口監訳 冬樹純子訳はこちら
- レネー・C・フォックス『生命倫理をみつめて』中野真紀子訳はこちら
* 2012年6月22日配本 (2冊)
『プロメテウスの火』

朝永振一郎 江沢洋編 [好評重版]
- ――原子力の悪用の害悪はあまりにも大きい。その発見は、人類の進歩のため喜ぶべきだと、何とかして考えたい。しかし、アナロジーを持って来るのは非科学的かも知れないが、動物の進化の法則も必ずしも合目的ではないようだ。巨大な大昔の爬虫類や、マンモスのグロテスクに曲った牙がよい例だ。自然界では、場合によっては滅びることを目的としているように見えるものがある。それは必要に迫られたというよりも、進化論学者から文句が出るだろうが、発展の法則それ自身が非合目的であるのかも知れない。これは自然科学も、人類の文明も含めていえることではないか。――
- 『朝永振一郎著作集』はこちら
- 朝永振一郎編『物理学読本』[第2版]はこちら
- 朝永振一郎『量子力学』 I [第2版]はこちら
- 朝永振一郎『量子力学』 II [第2版]はこちら
- 朝永振一郎『角運動量とスピン』亀淵・原・小寺編はこちら
- 朝永振一郎『新版 スピンはめぐる』江沢洋・注はこちら
- 朝永振一郎『庭にくる鳥』はこちら
- 『回想の朝永振一郎』松井巻之助編はこちら
- 『仁科芳雄往復書簡集』全3巻・補巻1はこちら
- 『仁科芳雄』玉木英彦・江沢洋編はこちら
- 山本義隆『福島の原発事故をめぐって――いくつか学び考えたこと』はこちら
- 池内了『科学者心得帳』はこちら
- ダイソン『叛逆としての科学』柴田裕之訳はこちら
- ウィットベック『技術倫理』 1 札野順・飯野弘之訳はこちら
- ハイゼンベルク『部分と全体』山崎和夫訳 湯川秀樹序文はこちら
- パイス『ニールス・ボーアの時代』1 西尾成子他訳はこちら
- パイス『ニールス・ボーアの時代』2 西尾成子他訳はこちら
- マイヤー=アービッヒ『自然との和解への道』上 山内廣隆訳はこちら
- マイヤー=アービッヒ『自然との和解への道』下 山内廣隆訳はこちら
- ラートカウ『自然と権力――環境の世界史』海老根剛・森田直子訳はこちら
『科学史の哲学』

下村寅太郎
[加藤尚武解説]
- ――ギリシャ人は人間的活動のほとんどあらゆる領域にわたって卓越していたが、科学の創造には驚くべく貢献するところが少ない。ギリシャ的天才は帰納的よりも演繹的であった。それゆえ数学が栄えた。それ以後の時代においてギリシャ数学はほとんど忘れられたが、ギリシャ人の演繹に対する情熱の他の産物、ことに神学と法律とは残存し繁栄した。ギリシャ人中最も科学的であったのはアルキメデスである。しかし彼の「力学」もエウクレイデスの幾何学と同じく公理から出発する。公理は実験の結果ではなく自明として仮定されているものである。――
- コイレ『プラトン』川田殖訳はこちら
- コリングウッド『自然の観念』平林・大沼訳はこちら
- カッシーラー『認識問題』 1 須田・宮武・村岡訳はこちら
- カッシーラー『認識問題』 2-1 須田・宮武・村岡訳はこちら
- カッシーラー『認識問題』 2-2 須田・宮武・村岡訳はこちら
- カッシーラー『認識問題』 4 山本・村岡訳はこちら
- カッシーラー『カントの生涯と学説』門脇・高橋・浜田監修はこちら
- ユクスキュル『動物の環境と内的世界』前野佳彦訳はこちら
- ギリスピー『客観性の刃――科学思想の歴史[新版]』島尾永康訳はこちら
- ヴァン・デル・ウァルデン『数学の黎明』村田・佐藤訳はこちら
- ボホナー『科学史における数学』村田全訳はこちら
- リンドバーグ/ナンバーズ『神と自然』渡辺正雄監訳はこちら
- ドッブズ『錬金術師ニュートン』大谷隆昶訳はこちら
- ロッシ『魔術から科学へ』前田達郎訳はこちら
- クーン『科学革命の構造』中山茂訳はこちら
- 山本義隆『一六世紀文化革命』 1 はこちら
- 山本義隆『一六世紀文化革命』 2 はこちら
- 山本義隆『磁力と重力の発見』 1 はこちら
- 山本義隆『磁力と重力の発見』 2 はこちら
- 山本義隆『磁力と重力の発見』 3 はこちら
* 2012年6月8日配本 (3冊)
『チーズとうじ虫』
16世紀の一粉挽屋の世界像

カルロ・ギンズブルグ 杉山光信訳
[上村忠男解説]
- ――その男の名はドメニコ・スカンデッラといったが、人びとからはメノッキオと呼ばれていた。メノッキオは1532年にモンテレアレで生まれた。モンテレアレはフリウリ地方の丘陵地帯にある小さな町でポルデノネの北方25キロ、ちょうど山岳を背にひかえるような位置にある。(…)
「各人はその職業に従って働く。あるものは身体を動かし骨折って働き、あるものは馬鍬で耕す、そして私はといえば神を冒瀆するのが仕事だ。」
「ナンジハカタクナナ心デ説キ続ケタ……汚レタル不信心ナ言葉ニテ神ヲ罵ッタ。」
「私が考え信じるところでは、すべてはカオスである。すなわち土、空気、水、火のすべてが渾然一体となったものである。この全体は次第に塊になっていった。ちょうど牛乳からチーズができるように。そしてチーズの塊からうじ虫が湧き出るように天使たちが出現したのだ。」
「ワレラハ多種多様ニシテマタ未ダ曾テ知ラレザル種類ノ誤レル異端ノ説ヲナンジニ見イダセリ。」――
- ギンズブルグ『ピエロ・デッラ・フランチェスカの謎』森尾総夫訳はこちら
- ギンズブルグ『歴史を逆なでに読む』上村忠男訳はこちら
- ギンズブルグ『糸と痕跡』上村忠男訳はこちら
- アリエス『〈子供〉の誕生』杉山光信・杉山美恵子訳はこちら
- セルトー『ルーダンの憑依』矢橋透訳はこちら
- カントロヴィッチ『祖国のために死ぬこと』甚野尚志訳はこちら
- ブロック『封建社会』1 新村・森岡・大高・神沢訳はこちら
- ブロック『封建社会』2 新村・森岡・大高・神沢訳はこちら
- ブローデル『日常性の構造』1 《物質文明・経済・資本主義》I-1 村上光彦訳はこちら
- ブローデル『日常性の構造』2 《物質文明・経済・資本主義》I-2 村上光彦訳はこちら
- ブローデル『交換のはたらき』1 《物質文明・経済・資本主義》II-1 山本淳一訳はこちら
- ブローデル『交換のはたらき』2 《物質文明・経済・資本主義》II-2 山本淳一訳はこちら
- ブローデル『世界時間』1 《物質文明・経済・資本主義》III-1 村上光彦訳はこちら
- ブローデル『世界時間』2 《物質文明・経済・資本主義》III-2 村上光彦訳はこちら
- ブローデル『地中海世界』神沢栄三訳はこちら
- デーヴィス『贈与の文化史』宮下志朗訳はこちら
- ロッシ『魔術から科学へ』前田達郎訳はこちら
- アポストリデス『機械としての王』水林章訳はこちら
- スピヴァク『サバルタンは語ることができるか』上村忠男訳はこちら
- グラムシ『知識人と権力』上村忠男訳はこちら
『政治的ロマン主義』

カール・シュミット 大久保和郎訳
[野口雅弘解説]
- ――主観的機会原因論は自由な創造性の小さな島を見つけることができるが、しかしここですらも、無意識のうちに最も身近で最も強力な勢力に服従している。そして単なるオッカジオネルなものとして見られた現在に対するその優越性はきわめて皮肉な逆転を蒙らされる。ロマン的なるもののすべては他のさまざまの非ロマン的なエネルギーに仕え、定義や決断に超然としているというその態度は一転して、他者の力、他者の決断に屈従的にかしずくことになるのである。――
- シュミット『憲法論』阿部照哉・村上義弘訳はこちら
- アーレント『全体主義の起原』1 大久保和郎訳はこちら
- アーレント『全体主義の起原』2 大島通義・大島かおり訳はこちら
- アーレント『全体主義の起原』3 大久保和郎・大島かおり訳はこちら
- アーレント『過去と未来の間』引田隆也・齋藤純一訳はこちら
- ノイマン『大衆国家と独裁』岩永・岡・高木訳はこちら
- ノイマン『ビヒモス――ナチズムの構造と実際 1933-1944』岡本・小野・加藤訳はこちら
- ミル『ベンサムとコウルリッジ』松本啓訳はこちら
- 関口正司『自由と陶冶――J・S・ミルとマス・デモクラシー』はこちら
- バーク『フランス革命の省察』半澤孝麿訳はこちら
- 中野好之『評伝バーク』はこちら
- 松本礼二『トクヴィルで考える』はこちら
- ヴェーバー『宗教社会学論選』大塚久雄・生松敬三訳はこちら
- 野口雅弘『闘争と文化』はこちら
- 藤田省三『天皇制国家の支配原理』《始まりの本》はこちら
- ノーマ・フィールド『天皇の逝く国で』[増補版]大島かおり訳《始まりの本》はこちら
- 原武史『可視化された帝国』[増補版]《始まりの本》はこちら
『望郷と海』

石原吉郎
[岡真理解説]
- ――彼はついに〈告発〉の言葉を語らなかった。彼の一切の思考と行動の根源には、苛烈で圧倒的な沈黙があった。それは声となることによって、そののっぴきならない真実が一挙にうしなわれ、告発となって顕在化することによって、告発の主体そのものが崩壊してしまうような、根源的な沈黙である。強制収容所とは、そのような沈黙を圧倒的に人間に強いる場所である。そして彼は、一切の告発を峻拒したままの姿勢で立ちつづけることによって、さいごに一つ残された〈空席〉を告発したのだと私は考える。告発が告発であることの不毛性から究極的に脱出するのは、ただこの〈空席〉の告発にかかっている。――
- 『長谷川四郎 鶴/シベリヤ物語』小沢信男編《大人の本棚》はこちら
- 高杉一郎『あたたかい人』太田哲男編はこちら
- 新城郁夫『沖縄を聞く』はこちら
- 宮田昇『敗戦三十三回忌』はこちら
- リンダイヤ『ネルと子供たちにキスを』村岡崇光監訳はこちら
- フランクル『夜と霧』[新版] 池田香代子訳はこちら
- フランクル『夜と霧』霜山徳爾訳はこちら
- フランクル『死と愛』霜山徳爾訳はこちら
- ヴィーゼル『夜』村上光彦訳[新版]はこちら
- リンゲルブルム『ワルシャワ・ゲットー』大島かおり訳[新版]はこちら
- ティフ編著『ポーランドのユダヤ人』阪東宏訳はこちら
- ホフマン『記憶を和解のために』早川敦子訳はこちら
- ブルッフフェルド/レヴィーン『語り伝えよ、子どもたちに』高田ゆみ子訳はこちら
- カツェネルソン『滅ぼされたユダヤの民の歌』飛鳥井・細見訳はこちら
- 岡真理『アラブ、祈りとしての文学』はこちら
- ゴイティソーロ『嵐の中のアルジェリア』山道佳子訳はこちら
- ザスラフスキー『カチンの森』根岸隆夫訳はこちら
- ビーヴァー『スペイン内戦』上 根岸隆夫訳はこちら
- ビーヴァー『スペイン内戦』下 根岸隆夫訳はこちら
- グロスマン『人生と運命』1 齋藤紘一訳はこちら
- グロスマン『人生と運命』2 齋藤紘一訳はこちら
- グロスマン『人生と運命』3 齋藤紘一訳はこちら
* 2012年4月配本 (2冊)
『ノイズ』
音楽/貨幣/雑音

ジャック・アタリ 金塚貞文訳
[陣野俊史解説]
- ――不確かでうつろいやすく、ささやかでかすかな流れとなって、音楽はわれわれの世界、そしてわれわれの日々の生活の隅々にまでゆきわたっている。今、それは、条理を失った世界の中で、安らぎを見出し得るのはBGMしかないかのように、われわれには不可欠なものとなっている。今日、音楽の流れるところにはすべてまた、貨幣がある。(…)商品となった非物質的な悦びたる音楽は、記号の社会、物質的でないものまでが売買される社会、社会関係が貨幣に統合された社会を告知しているのだ。 音楽は、予言的であるが故に告知する。音楽は、いつの時代にもその原理のうちに、来たるべき時代の告知を含んでいたのだ。――
- アタリ『カニバリスムの秩序』金塚貞文訳はこちら
- ツヴァイク『昨日の世界』 1 原田義人訳はこちら
- ツヴァイク『昨日の世界』 2 原田義人訳はこちら
- ガタリ『アンチ・オイディプス草稿』ナドー編/國分功一郎・千葉雅也訳はこちら
- レヴィ=ストロース『神話論理』全5冊 吉田禎吾・早水洋太郎・渡辺公三・木村秀雄他訳はこちら
- ジャック・デリダの本はこちら
- グレン・グールドの本はこちら
- 『ロラン・バルト著作集』全10巻[既刊9]はこちら
- クラーゲス『リズムの本質』杉浦實訳はこちら
- サイード『音楽のエラボレーション』大橋洋一訳はこちら
- シェル『芸術と貨幣』小澤博訳はこちら
- 宇野邦一『映像身体論』はこちら
- マクルーハン『メディア論』栗原裕・河本仲聖訳はこちら
- ロス『20世紀を語る音楽』 1 柿沼敏江訳はこちら
- ロス『20世紀を語る音楽』 2 柿沼敏江訳はこちら
- ローズ『ブラック・ノイズ』新田啓子訳はこちら
- グレイ『わらの犬』池央耿訳はこちら
- フーコー『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳・斎藤環解説《始まりの本》はこちら
- アドルノ『哲学のアクチュアリティ』細見和之訳《始まりの本》はこちら
- ステント『進歩の終焉』渡辺格他訳・木田元解説《始まりの本》はこちら
『素足の心理療法』

霜山徳爾
[妙木浩之解説]
- ――心理療法の歴史を顧みると、始めのうちこそ患者があって理論が生まれてきた素足の時代があったようであるが、次第に大ていは誰でも、まず自分の気に入った理論という靴をはいて患者を診るようになってきた。靴をはくのは自分の足を保護したり、外見をよくしたりするのには、たしかに役に立つかもしれない。しかし言葉通りの隔靴掻痒という現象もすべての心理療法の各流派について出現してきたのも事実である。大地に、患者に、素朴にしっかりと、はだしで立つことは、何か土くさい、ローカルなこととして考えられるようになってきた。しかし心理療法というものは、もともとローカルなものとして始まったのである。――
- フランクル『夜と霧』霜山徳爾訳はこちら
- フランクル『夜と霧』[新版] 池田香代子訳はこちら
- フランクル『死と愛』霜山徳爾訳はこちら
- 『フランクル・セレクション』全5巻はこちら
- ボス『東洋の英知と西欧の心理療法』霜山徳爾・大野美都子訳はこちら
- 木村敏『関係としての自己』はこちら
- 西丸四方『精神医学の古典を読む』はこちら
- 笠原嘉『精神科医のノート』はこちら
- 笠原嘉『新・精神科医のノート』はこちら
- 笠原嘉臨床論集『再び「青年期」について』はこちら
- 笠原嘉臨床論集『外来精神医学という方法』はこちら
- 笠原嘉臨床論集『うつ病臨床のエッセンス』はこちら
- 中井久夫『臨床瑣談』はこちら
- 中井久夫『臨床瑣談 続』はこちら
- 山下格『誤診のおこるとき』〈精神医学重要文献シリーズHeritage〉はこちら
- 竹中星郎『老いの心と臨床』〈精神医学重要文献シリーズHeritage〉はこちら
- ターナー『自傷からの回復』小国綾子訳・松本俊彦監修はこちら
- 本城秀次『乳幼児精神医学入門』はこちら
- 杉林稔『精神科臨床の場所』はこちら
- 阿部惠一郎『精神医療過疎の町から』はこちら
* 2012年1月配本 (2冊)
『天皇制国家の支配原理』

藤田省三
- ――天皇は道徳的価値の実体でありながら、第一義的に絶対権力者でないことからして、倫理的意思の具体的命令を行いえない相対的絶対者となり、したがって臣民一般はすべて、解釈操作によって自らの恣意を絶対化して、これ又相対的絶対者となる。ここでは、絶対者の相対化は相対的絶対者の普遍化である。かくして天皇制絶対主義は権力絶対主義を貫徹しないことによって、恣意と絶対的行動様式を体制の隅々にまで浸透させ、したがってあまりにパラドクシカルにも無類の鞏固な絶対主義体系を形成したのである。客観的権限の主観的恣意への同一化、「善意の汚職」と「誠実なる専横」、かくて天皇制官僚制は、近代的なそれから全く逸脱してゆくのである。――
- 藤田省三『現代史断章』はこちら
- 藤田省三『維新の精神』はこちら
- 藤田省三『精神史的考察』はこちら
- 藤田省三『異端論断章』はこちら
- 『藤田省三対話集成』 1 はこちら
- 『藤田省三対話集成』 2 はこちら
- 『藤田省三対話集成』 3 はこちら
- 丸山真男『戦中と戦後の間』はこちら
- 丸山真男『自己内対話』はこちら
- 『丸山眞男書簡集』全5巻はこちら
- 『丸山眞男話文集』全4巻はこちら
- 『丸山眞男の世界』「みすず」編集部編はこちら
- 萩原延壽『自由の精神』はこちら
- 『鶴見俊輔書評集成』 1 はこちら
- 『鶴見俊輔書評集成』 2 はこちら
- 『鶴見俊輔書評集成』 3 はこちら
- 松尾尊兊『民本主義と帝国主義』はこちら
- テツオ・ナジタ『Doing 思想史』平野克弥編訳はこちら
- 笹倉秀夫『丸山眞男の思想世界』はこちら
- 飯田泰三『戦後精神の光芒』はこちら
- ノーマ・フィールド『天皇の逝く国で』[増補版]大島かおり訳《始まりの本》はこちら
- 原武史『可視化された帝国』[増補版]《始まりの本》はこちら
『アウグスティヌスの愛の概念』

ハンナ・アーレント 千葉眞訳
- ――こうして「愛(ディレクティオ)」は、自己自身が他の人々と共通の危機の中にあるとの認識に根拠づけられている。キリスト信徒の「世界内存在」In-der-Welt-seinは、自らの過去への帰属性を表しているが、同時に危機の中にある存在をも意味している。(…)こうして「地の国」における人々の相互生活の基盤を作り上げていた運命共有者としての仲間意識が、再び新たな自覚において保持されるようになる。――
- ハンナ・アーレント『過去と未来の間』引田隆也・齋藤純一訳はこちら
- ハンナ・アーレント『暴力について』山田正行訳はこちら
- ハンナ・アーレント『全体主義の起原』 1 大久保和郎訳はこちら
- ハンナ・アーレント『全体主義の起原』 2 大島通義・大島かおり訳はこちら
- ハンナ・アーレント『全体主義の起原』 3 大久保和郎・大島かおり訳はこちら
- ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』大久保和郎訳はこちら
- ハンナ・アーレント『ラーエル・ファルンハーゲン』大島かおり訳はこちら
- 『アーレント政治思想集成』 1 齋藤純一他訳はこちら
- ルッツ編『アーレント=ハイデガー往復書簡』大島かおり・木田元訳はこちら
- 『アーレント=ヤスパース往復書簡』 1 大島かおり訳はこちら
- 『アーレント=ヤスパース往復書簡』 2 大島かおり訳はこちら
- 『アーレント=ヤスパース往復書簡』 3 大島かおり訳はこちら
- エティンガー『アーレントとハイデガー』大島かおり訳はこちら
- ヤング=ブルーエル『なぜアーレントが重要なのか』矢野久美子訳はこちら
- 矢野久美子『ハンナ・アーレント、あるいは政治的思考の場所』はこちら
- 『ロールズ 哲学史講義』上 坂部恵監訳はこちら
- 『ロールズ 哲学史講義』下 坂部恵監訳はこちら
- A・マッキンタイア『美徳なき時代』篠崎榮訳はこちら
- ベラー他『善い社会』中村圭志訳はこちら
- S・S・ウォリン『政治学批判』千葉眞他編訳はこちら
- S・S・ウォリン『アメリカ憲法の呪縛』千葉眞他訳はこちら
- トニー・ジャット『荒廃する世界のなかで』森本醇訳はこちら
* 第1回配本 (2011年11月・6冊)
『臨床医学の誕生』

ミシェル・フーコー 神谷美恵子訳
[斎藤環解説]
- ビンスワンガー/フーコー『夢と実存』荻野恒一他訳はこちら
- M・ボス編『ハイデッガー ツォリコーン・ゼミナール』木村敏・村本詔司訳はこちら
- V・ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトクライス』木村敏・濱中淑彦訳はこちら
- V・ヴァイツゼカー『パトゾフィー』木村敏訳はこちら
- M・メルロー=ポンティ『知覚の現象学』 1 竹内芳郎・小木貞孝訳はこちら
- M・メルロー=ポンティ『知覚の現象学』 2 竹内・木田・宮本訳はこちら
- M・メルロ=ポンティ『意識と言語の獲得』木田元・鯨岡峻訳はこちら
- 中井久夫『西欧精神医学背景史』《みすずライブラリー》はこちら
- ピエール・ジャネ『症例 マドレーヌ』松本雅彦訳はこちら
- ミシェル・ド・セルトー『ルーダンの憑依』矢橋透訳はこちら
- 『神谷美恵子コレクション』全5冊はこちら
『二つの文化と科学革命』

チャールズ・P・スノー 松井巻之助訳
[S・コリーニ解説(増田珠子訳)]
- J・R・ブラウン『なぜ科学を語ってすれ違うのか』青木薫訳はこちら
- T・フランセーン『ゲーデルの定理――利用と誤用の不完全ガイド』田中一之訳はこちら
- T・S・クーン『科学革命の構造』中山茂訳はこちら
- T・S・クーン『科学革命における本質的構造』安孫子誠也・佐野正博訳はこちら
- T・S・クーン『構造以来の道』佐々木力訳はこちら
- C・C・ギリスピー『客観性の刃』島尾永康訳はこちら
- C・C・ギリスピー『科学というプロフェッションの出現』島尾永康訳はこちら
- U・セーゲルストローレ『社会生物学論争史』 1 垂水雄二訳はこちら
- U・セーゲルストローレ『社会生物学論争史』 2 垂水雄二訳はこちら
- 中村禎里『日本のルィセンコ論争』《みすずライブラリー》はこちら
『天皇の逝く国で』

[増補版] ノーマ・フィールド 大島かおり訳
- ノーマ・フィールド『祖母のくに』大島かおり訳はこちら
- ノーマ・フィールド『へんな子じゃないもん』大島かおり訳はこちら
- ノーマ・フィールド『源氏物語、〈あこがれ〉の輝き』斎藤和明他訳はこちら
- テッサ・モーリス=鈴木『辺境から眺める』大川正彦訳はこちら
- 『謝花昇集』伊佐眞一編はこちら
- 明田川融『沖縄基地問題の歴史――非武の島、戦の島』はこちら
- 新城郁夫『沖縄を聞く』はこちら
- 羅英均『日帝時代、わが家は』小川昌代訳はこちら
- 戸谷由麻『東京裁判――第二次大戦後の法と正義の追求』はこちら
- A・ゴードン『日本の200年――徳川時代から現代まで』上 森谷文昭訳はこちら
- A・ゴードン『日本の200年――徳川時代から現代まで』下 森谷文昭訳はこちら
- A・ゴードン編『歴史としての戦後日本』上 中村政則監訳はこちら
- A・ゴードン編『歴史としての戦後日本』下 中村政則監訳はこちら
- 『東アジア人文書100』[発行・東アジア出版人会議/発売・みすず書房]はこちら
『可視化された帝国』

近代日本の行幸啓
[増補版] 原武史
- 丸山真男『戦中と戦後の間』はこちら
- 藤田省三『異端論断章』はこちら
- 萩原延壽『自由の精神』はこちら
- ジョン・W・ダワー『昭和』明田川融監訳はこちら
- H・ハルトゥーニアン『歴史と記憶の抗争』K・M・エンドウ編・監訳はこちら
- テツオ・ナジタ『Doing 思想史』平野克弥編訳はこちら
- R・ジェラテリー『ヒトラーを支持したドイツ国民』根岸隆夫訳はこちら
- J-M・アポストリデス『機械としての王』水林章訳《みすずライブラリー》はこちら
- 北一輝著作集 1 『国体論及び純正社会主義』神島二郎解説はこちら
- 永山正昭『星星の火』平岡茂樹・飯田朋子編はこちら
- 『現代史資料』全45巻・別巻1[オンデマンド版]はこちら
- 『続・現代史資料』全12巻[オンデマンド版]はこちら
『哲学のアクチュアリティ』

初期論集
[初書籍化] テオドール・W・アドルノ 細見和之訳
- 『アドルノ 文学ノート』 1 三光長治他訳はこちら
- 『アドルノ 文学ノート』 2 三光長治他訳はこちら
- Th・W・アドルノ『キルケゴール』山本泰生訳はこちら
- 細見和之『アドルノの場所』はこちら
- E・W・サイード『故国喪失についての省察』 2 大橋洋一他訳はこちら
- E・W・サイード『音楽のエラボレーション』大橋洋一訳はこちら
- マーティン・ジェイ『弁証法的想像力』荒川幾男訳はこちら
- S・ヒューズ『大変貌――社会思想の大移動1930-1965』荒川・生松訳はこちら
- R・G・コリングウッド『自然の観念』平林康之他訳はこちら
- シリーズ《エコロジーの思想》はこちら
『進歩の終焉』

来るべき黄金時代
ガンサー・S・ステント 渡辺格・生松敬三・柳澤桂子訳
[木田元解説]
- ジョン・グレイ『わらの犬――地球に君臨する人間』池央耿訳はこちら
- トニー・ジャット『荒廃する世界のなかで――これからの「社会民主主義」を語ろう』森本醇訳はこちら
- アレックス・ロス『20世紀を語る音楽』 1 柿沼敏江訳はこちら
- アレックス・ロス『20世紀を語る音楽』 2 柿沼敏江訳はこちら
- 中沢新一『芸術人類学』はこちら
- D・M・ベルーベ『ナノ・ハイプ狂騒』上 五島綾子監訳・熊井ひろ美訳はこちら
- D・M・ベルーベ『ナノ・ハイプ狂騒』下 五島綾子監訳・熊井ひろ美訳はこちら
- ヴァンダーミーア/ペルフェクト『生物多様性〈喪失〉の真実』新島義昭訳はこちら
- H・E・デイリー『持続可能な発展の経済学』新田・藏本・大森訳はこちら
- N・ジョージェスク=レーゲン『エントロピー法則と経済過程』高橋・神里他訳はこちら
- 玉野井芳郎『エコノミーとエコロジー』はこちら
- 上村芳郎『クローン人間の倫理』はこちら
- G・R・テイラー『人間に未来はあるか』渡辺格・大川節夫訳はこちら
- G・R・テイラー『地球に未来はあるか』大川節夫訳はこちら
* 続刊予定
『カフカとの対話』
手記と追想
グスタフ・ヤノーホ 吉田仙太郎訳 三谷研爾解説
『パリ・病院』(仮)
1794-1848
E・H・アッカークネヒト 舘野之男訳 引田隆也解説
『ロシア革命の考察』
E・H・カー 南塚信吾訳
『物理の魅力』(仮)
朝永振一郎
『孤独な群衆』
上・下
D・リースマン 加藤秀俊訳
『知性改善論・短論文』
バールーフ・デ・スピノザ 佐藤一郎訳
『ベンヤミン アドルノ往復書簡』
[以下続刊]
